メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

席を譲られた時の動揺

 朝日新聞の読者投書欄から、交通機関の中で席の譲りあいに関するちょっと気になる話。投稿主の女性が、あるとき電車の中で前に立っていた若い女性席を譲ろうとした。なぜ若い女性に対して、と思うが件の席を譲った女性は前に立った女性がとてもゆったりとした服を着ていたのをみて妊婦さんと思ったらしい。席を譲られた女性が怪訝な顔をするので、おめでたではないかと思った、と説明した。すると譲られた若い女性は不愉快そうな顔をして、車両を移ってしまったというのだ。女性は妊娠ではなく、単にふくよかなだけだった。なんとも決まりの悪い思いだった、と同時にやはり妊娠時に交通機関を利用して移動する辛さは自らの体験で知っているだけに、ピンクリボンなど客観的に妊娠がわかる工夫で、少しでも妊婦さんへの思いやりを社会全体が持てるようになればいい、と結んでいた。
 実はこれを読んで、筆者も最近相次いで電車の中で席を譲られた自らの体験を思い出した。特に疲れた様子で乗っていたのでないと思うし、自分ではそれほど年寄りくさい自覚ももちろんない。席を譲ってくれたのは、2回とも30代と思しき女性であった。その時、筆者は思わず憮然とした表情で断ってしまった。最初の時は、本当にびっくりして反射的にそうした行動に出てしまったのだ。件の女性は済まなそうに「ア、ごめんなさい」と恥ずかしそうに座りなおした。その後、3つ目か4つ目の駅で下車したのだが、その間ずっとその女性に対して、心の中で「ゴメンナサイね」とつぶやいていた。それから数ヶ月して、また電車の中で席を譲られたのだが、その時も最初の時ほどではなかったがあまり紳士的な態度ではなく断ってしまった。席を譲られることが、あれほど動揺することだとは思わなかった。そしてショックでもあった。友人の何人かに聞いてみたら、彼はまだ席を譲られたことはないとのこと。自分が思っている以上に、他人の目からは寄りに見えるのだろうか。まあ、確かにおつむの方がだいぶ心もとなくなっているのは事実ではあるが・・・
同時に、交通機関の中で席を譲ることって案外難しいのだと思った。しかし、筆者が犯したような恥ずかしい反応があるからといって、席を譲るという何気ない優しさを社会が失ってしまうことのないよう祈りたい。これからは自分以上にお年を召した人を見たら、青年のように元気よく席を譲ることにしよう。