メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

ただいま お帰り!

ひょんなことからブログを再開することにした。思えば最後に記事をアップしてから、もう10年以上経ってしまっていた。時間の経つのは早い。再開っていうけど、実は単にサボっていただけ。

にしてもである、10年ひと昔だからすでに一つの区切りを超えて、二区切り目に入ってしまっている。俺ってこんなに飽きっぽかったかなあ? まあそうなんだろうね。ここは潔く自らのダメさを認めよう。

さて、この10年、自分にとってどんな時間が過ぎたのだろうか。何があったのか、何が変わったのか、あるいは変わらなかった。簡単に整理するとまず住まいが変わった。数十年を過ごした神奈川区から5年ほど前に旭区に転居した。考えてみると物心ついてから神奈川区から出たことがない。区外での生活は初めて。これってかなり大きな変化だろうなあ。次男坊が独立してもう二人の子持ちである。おいらはお爺ちゃんてこと。だけどこの現実がいまだに自分の中でしっくり来ていない。そうだよね、だっておいらのキャッチフレーズは「young at heart forever」だから。これって人によっては、いい年していつまで馬鹿なこと言ってんの、って意味らしいけど・・

芝居は相変わらずうまくならないけどそれでも一向にやめる気配はない。もう40年を超えた。仕事は、目下は多足の草鞋状態。住まい近くの有料老人ホームで、介護サービスの下支えをする何でも屋のパート。そして1年半ほど前からは、あるNPO横浜市健康福祉局とのコラボ事業に参画している。拠点は中区の寿町である。合間を縫って、半導体関連の専門新聞のウェブ展開事業で映像制作を手伝い、その一方でナレーションなど音声コンテンツ制作を請け負っている。確かに忙しいし、昔に比べると疲れがたまるねえ。だけど、いや、だからかな合間を縫って自転車で走り回り回り、気分転換と体力維持を心がける。だけど体重はなぜかすこーしずつ増えている。目下の目標は、4キロダイエット。60kg切りを目指す。これがなかなか難しいです、はいっ。だって旨いものが身の回りに多すぎる。まあ、取り留めない復活宣言であるが、実は今そばで妻が「出かけるよ~」と呼び掛けているのでいったん中断。この続きはまた近くということで。