メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

知りたいことが見えない

 昨日8日、関西TVが「発掘!あるある〜」のデータ捏造事件に関する報告書を総務省に提出したが、それによれば直接の原因は孫請け制作会社が裏づけを十分とらずに制作したことであるとしているようだ。またもというか「やっぱりね」といった感じで、下請けや孫受けへの責任転嫁で乗り切ろうとするキー局のやらせ、捏造放任体質が明確になっただけである。制作の最上部に位置する関西TVの責任はどこにあるのか、そしてそれをどのように表現するのだろうか。同社曰く「技術的な虚偽を見抜くのはきわめて難しく、年末年始番組体制でチェックが甘くなっていたかもしれない」ということらしい。関西TVではこれで説明になっていると判断しているのか。しかも他の捏造対象となっている味噌汁やレタスなど8本について、そのうち7本までは「必ずしも不適切とはいえない」のだという。すでにそれぞれのケースでコメントや実験を依頼された教授や研究者が、捏造あるいはそれに近いとのコメントをメディアで公表しているにもかかわらず、こうした報告書を90ページ以上のボリュームでまとめ上げるとは、なんとも図太い神経をしているとしか言いようがない。報告書まで、捏造の上塗りなのか。
 さて、そこで問題である。この記事を読んで思ったことがある。「技術的な虚偽は見抜けない」という同局の言い分であるが、実験データやそれに基づいてコメントを寄せた人物に裏づけをとることがもっとも手っ取り早い確認であり、それは容易なはずだ。次に、年末年始体制だったからとするチェック体制の甘さであるが、ではそれ以外の時期はどんなチェック体制がとれたのか、また年末年始以外の時期に制作された番組ではどんなチェックがなされたのか。これらの疑問を関西TVにぶつけて、その回答や反応を引き出すのがメディアに求められる責任ではないだろうか。この種の報道でいつも気になるのは、取材される側(その多くが問題や事件の当事者)の本音や行動の裏側に潜む真実を抉り出そうとする視点が乏しいことである。結果的に報道は、表層的なもので終わることが多い。読者が求めているのは、つねに一歩踏み込んだこだわりの取材姿勢なのだが。