メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

記者の仕事は現場の空気を感じ取ること

 朝日新聞新潟総局の写真記者が、読売新聞のウェブサイトから文章を盗用した。朝日の写真記者(写真部のことか?)が富山県の風物詩である「かんもち作り」について書いた記事だが、朝日の説明によれば、この記者が記事を書くようになったのは昨年4月からで、書くのに慣れていなかったからではないか、とのこと。また件の記者によれば「記事を書く際に読売の記事をウェブサイトで見て参考にしたが、自分より文章がうまかったので書き直してしまった」のだという。いずれのコメントでも、実は記者にとって重要なことに触れていない。記者にとって大事なことは、現場の空気を正確にかつ深く汲み取ることである。書くことは、その結果を伝える単なる技術に過ぎないのだ。現にこの記者が撮った写真は、カラフルな餅をすだれ上に吊るして乾燥させる農家の女性の作業風景を、冬の風物詩としてローアングルからうまく捉えていると思う。彼は写真ではきちんと仕事をした。しかし書く段になって、文章を作るという作業に気をとられ、自分が見たこと肌で感じたことを思い出そうとしなかった。
 取材当日の空の色はどうだったのか、気温は、農家の女性は暖冬を感じていたのだろうか、この餅はどんな味がするのだろうか、どんな食べ方が美味しいのだろうか、作業は辛いのか楽しいのか等々・・・感じることはいくらでもあったはずだ。写真部員だけに、こうした文章の下地になる現場の空気を感じ取ることに慣れておらず、撮ることだけに気持ちがいってしまったのだろうか。それにしてもである。ファインダーから感じ取ることは十分にできたはずで、そのときに少しメモを補足してさえおけば、この程度の短いルポ記事はいくらでも書けるはずなのだが。彼にとっては撮ることが大事な仕事で、書くことは補足的なことでしかなったのだろうか。しかし彼は、そのさして大事なことではないかもしれない些細なことで、記者生命を終わらせてしまった。