メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

新聞記者の精神的支柱は怒り

 22日付の毎日新聞コラム「記者の目」で、久しぶりに芯の通った記者の心情を見た思いがした。新聞記者特に社会部記者の精神的支柱は、真実へのあくなき探究心であることはもちろんだが、かねてから怒りにあるのではないかと思っている。怒りの対象は不正義であり、欺瞞であるのだが、大事なことは弱者への社会的暴力に向けられるものではないだろうか。記事の内容は、昨年末都内で発生した家族内での殺人事件に関して、被害者である妹と加害者の兄に向けられた好奇心に満ちた中傷情報に対する怒りを静かな筆致ながら厳しく断じたものであった。事件発生からほどなくして、雑誌メディアとネットを中心に“うわさ”が飛び交っていた。加害者の兄が妹の遺体を切断しただけでなく、その一部を食べたりなめたりし、果ては頭部を抱いて寝たなどというのだ。確かにこの事件は、兄が妹を殺害したうえに遺体をばらばらにするというショッキングなもので、それだけに当初から猟奇性が一人歩きしていた。
 両親は揃って歯科医を開業しており、3人兄弟の長兄も後を継ぐ予定であった。世間的には標準以上に恵まれた家庭であり、得てしてこうした家庭に生じた事件は世間の好奇の目に晒されることが多い。しかし、両親にしてみれば片や被害者として存在自体を失い、片やその加害者として社会的に失ってしまった。開業医としての立場も失っただろう。そのうえに氾濫する中傷情報に襲われたのである。犯罪を捜査し裁く側であるはずの東京地検が、今月5日に兄の被告を起訴した際に、遺体を食べたなどとした一部週刊誌の報道に対して名誉毀損の類であるとすら述べ、明確に否定するコメントを発表した。記事によれば、確かに週刊誌では事実としてでなく、“噂”として報じていたのだが、と疑問を呈している。その後、ブログなどを含めてネット上を情報が飛び交うようになると、いつしか既成事実化していったと指摘する。静かにではあるが、これら中傷情報に対して明確な批判を展開しつつ、この記者はしっかりと事実の裏づけを追求した。動機は、「亡くなって反論できない被害者に代わって彼女が残した言葉を聞きたいと思った」からと述べている。ネットを含めメディアを一人歩きし始めた被害者のイメージを、別の視点から追求することで、世間の目に触れない被害者の本当の姿を発見しようと独自の取材を進めた。その第一弾が去る1月22日付けの夕刊に掲載された。ところがその記事に対して、批判的な声がネット上を飛び交ったのだという。
 記事の終盤で、記者はこう述べている。「自戒を込めて思う。報道に携わる人間は、肉親を失った遺族達の悲しみを受け止めるべきだ」と。地検幹部の言葉も紹介している。従来は、起訴案件について関連報道の姿勢を批判するような論調のコメントは公表しないのだが、今回は敢えて遺族らの心情を踏まえて言わせてもらった、というのだ。新聞の最大の機能であり使命は、社会の木鐸たることだという。今回の記者の目は、この新聞人の心根を優しさに溢れつつも凛とした言葉で表明していた。