メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

メディアは名前の尊厳にもっと意識をもつべきでは?

このところの特に新聞報道における個人の名前の扱い方について考えている。きっかけはミャンマー民主化の先導者であるアウンサンスーチーさんの表記である。今朝の紙面では、先に日本代表と戦ったサッカーの代表選手の中から帰国間際になっての難民申請があったと報道があり、そこで彼女の名前表記がスー・チーさんとあった。
これは間違いである。つまり、記事を書いた記者にその認識があってのことかどうかはわからないが、一般的にアウン・サン・スー・チーまたはアウンサン・スー・チーと表記されているようで、それをそのまま踏襲しているのだろう。そして名前だけ表記することである種の略称として勘弁してねとの感覚なのか。
その背景には、彼女の名前についての解釈の問題がある。アウンサンもしくはアウン・サンが苗字であり、スー・チーが名前との理解。これは明確な間違いである。彼女の父親はミャンマーの近代化に貢献したアウンサン将軍であり、その子供である彼女には父親の名前に「賢く美しい娘」との意味を持つスーチーが添えられて名付けられた。アウンサン将軍の賢く美しい娘との意味である。実はミャンマーには、洋の東西を問わず一般的な概念である苗字+名前という概念がないのだ。一つの名前だけである。彼女の父親の名前はアウンサン、彼女はその娘で美しく聡明であれとの願いを込めてスーチーを加えて名付けられた。だから彼女は、アウンサンスーチーであり、区切り点もない。苗字と名前を区切ることもない。メディアで区切り点をつけて表記するのは、単に表記をする側の勝手な都合と思い込みなのである。あるいは勉強不足。
私がそのことを知ったのは、かなり昔のこと。まだ彼女の働きで民主化が実現する前。軟禁状態にあった時代である。実は、彼女の還暦のお祝いで都内で大きな集まりがあって参加した。そこで初めて日本在住のミャンマーの人々や日本側の支援者たちと交流することがあった。その時にミャンマーについて何にも知らない日本人の一人として、名前について知ることになった。その時に説明してくれた日本人の支援者によると、ミャンマー人の名前について、きちんと理解している日本人はごく一部だという。アウンサンスーチーさんという世界手著名人がいるので、その名前がしばしばメディアなどで登場することで正確な名前についての表記が知られることもあるが、彼女がいなかったら知られる機会はもっと少なかったろう。
もう一つ気になる名前表記がある。日本のプロ野球を巣立って米大リーグで活躍しているダルビッシュ有投手だ。彼のことを時々新聞などで「ダル」と縮めて表記することがある。
ダルビッシュと単にダルと表記するのと、紙面構成上でいかほどの違いがあるのだろうか? しかも「ダル」とは一般にかったるいとかだらけたさま、退屈などあまりいい意味ではない。ご本人もその点はちゃんと認識して、そのうえでマスコミへの寛大な対応をしてくれているのだと思う。ならば、メディアの側がもっと名前に対する敬意をきちんと身に着けてほしいと思う。