メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

「主客転倒」を起こしている携帯電話

橋下大阪府知事が表明した「ケータイ禁止令」が、波紋を投げかけている。そしてこの問題は、単に学校に携帯電話を持ち込むことの是非だけでなく、学校や家庭で子供をどう育て、何を教えるべきかなど、さまざまな問題を浮き彫りにしてくれた。

メディアや一般の方向性としては、携帯は学校へ持たせるべきではない、橋下知事の方針には賛成、との論調が大勢を占めている。しかし、保護者などの声は必ずしも賛成で足並みが揃っているわけではなさそう。12月始めの読売新聞で取り上げた特集記事でも、学校への持ち込み禁止を支持する声とならんで、あいかわらず「すでに普及してしまったものをいまさらダメといっても・・・」といった優柔不断ともいえる声も少なくないという。また、登下校時の児童の安全を守るためにも必要ではないか、との声も聞く。あれやこれやで、さまざまな戸惑いがあるのだが、しかし実は問題の答えはとても簡単。無用な雑音のせいでことが複雑になっているのではないか。

要は携帯をめぐるプラスとマイナスを比べてみれば、答えは一目瞭然なのだ。理由の大半を占める「家庭との緊急連絡に必要」「部活の連絡に使っている」などの理由は、他にいくらでも代替手段はある。ましてや「よその子も持っているから」などは論外。理由にもならない。もっともそれを立派な理由とするバカな親もいるようだが、そんなアホな意見に振り回される愚は避けなければならない。携帯が学校生活に及ぼす弊害を検証すれば、持って行かないのがいいのは明らかではないか。学生時代に携帯などなかった我々の世代からすれば、信じられない光景が授業中に展開している。机の下でメール、顔を上げれば、写メールで友達をパチリ。学校や授業を何だと心得ているのか。小学校や中学でそんな風だから、社会人への入り口である大学生になっても、授業中に携帯を手放せない子供みたいな学生がめずらしくない。こんな基本的なマナーをいまさら教えなければ分からないバカな子供が増えているのだ。携帯を学校で預かったら、その間の通信費を弁償しろと学校にねじ込んだ、それこそバカな親もいるらしいから、子供の躾なんてとてもじゃないが、無理なんだろう。

携帯メールを送信する際には文章を書くわけだが、それも漢字変換を機械が勝手にやってくれるのだから、辞書を引いて確認することはまずしない。漢字能力が年々低下の一途という弊害は、まず挙げられる弊害だ。かくのごとくプラスよりも弊害が目立つ携帯を学校で禁止しようとの動きは、これから全国の学校で広がっていくと予想されるが、同時に本来なら便利な道具に過ぎない携帯が人間様の主人になって、その奴隷に成り下がっている妙な若者が増殖している情けない風潮に歯止めをかけないととんでもないことになりそうで怖い。