メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

見てみぬふりも共犯では?

 いじめへの対策として、いじめを知りながら見てみぬふりをすることもいけないこと、同罪とみなす、というような論理展開が学校の中で起こっているという。一定の抑止力にはなるのだろうが、果たして本当に知らなかったのか、あるいは現象として知ってはいたが、ちょっとした冗談の類であったり深刻ないじめであるとの認識がなかった、といったケースも考えられ、その線引きがとても難しいのではないか、との指摘もある。しかし、先日発生した列車内での女性への暴行事件に際して、その時乗り合わせた40人ほどの乗客たちは、全員が見てみぬふりをした。犯人と同罪に近いといわざるを得ない。まさか気づかなかったとか、そんなひどい事件とは思わなかったなどの言い訳は通用しない。衆人環視の中で恐怖におびえる女性を列車内のトイレに連れ込み暴行するというなんとも卑劣な驚くべきこの事件であるが、犯人だけでなくその時見過ごした他の乗客たちにはなんらの責めも課すことはできないのだろうか。本当に腹立たしい。列車の中には非常時に車掌に通報するベルもあったという。せめてそれを押すことくらいもできなかったのだろうか。一歩譲って女性や子供の乗客は仕方ないとして、いったい何人の大人の男性が乗っていたのだろう。犯人への怒りはもちろんだが、彼らへの怒りが沸き起こってきてならない。敢えて乱暴に言う。そこにいた男どもは、今後それぞれの人生の中でやれ正義だとか勇気だとかを語る資格を自ら放棄したのだ。それぞれの胸の中で、この日の出来事を消えることのない恥として抱いて生きるがいい。
 私事で恐縮だが、何年か前に乗り合わせた地下鉄の中で目の前に立っていた女性に痴漢行為を働いている男を発見したことがある。筆者は、すぐにその男と女性に間にかばんを割り込ませるようにして邪魔をする形で、女性を救ってあげたことがある。その女性は本当に困った風で身をよじらんばかりにしていたのだが、声を上げたり痴漢野郎を睨んだりもできないでいた。そうした場合、手を掴んで痴漢であることを周囲にアピールするような勇ましい女性は、やはり少数派なのだろう。被害者である女性のほとんどは、身をすくませるばかりだ。電車が駅について、その女性は小さな声で私に「ありがとうございました」といって小さく頭を下げ、降りていった。私は「いやいや、そんな気にせんでください。それにしてもバカな奴がいるもんですね」と言いつつ、無性に腹がたってきた。電車を降りその犯人を追いかけ問い詰めてやろうとしたが、逃げ足早くすでに姿は見えなかった。なんとも残念なことをしたが、しかしである。私は何も特別なことをしたのではない。一人前の男なら当たり前のことをしたまでだ。もし私が今回の現場に居合わせたら、間違いなく女性を救おうと何かしたはずなのだ。もちろん武道のたしなみがあるわけではない、体だって並以下のサイズしかない。しかし一丁前の男なのだ。一人で難しければ何人かで組んでもいい。少なくとも車掌を呼びにいくことくらいはできたはずだ。事件はほんの一瞬の出来事ではなかった。かなりの時間経過があったと言う。この間の被害者の女性の恐怖、それ以上に誰も助けてくれないことへの絶望感はいかほどであったろう。もう一度、その時現場にいた男どもは全員胸に手を当てて、わが身を恥ずかしいと思い、女性に謝罪すべきだ。