メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

少年犯罪は親が作る

 12日(水)、栃木県・宇都宮地方裁判所で、「栃木リンチ殺人事件」の民事訴訟についての判決が下った。1999年12月に2ヶ月もの間、監禁され連れ回され、友人や家族に700万円以上の借金を無理やりさせられた挙句、残酷なリンチの果てに殺害された青年の父親が起こしていた民事訴訟である。父親は、栃木県警の捜査怠慢を県に求め、殺害犯人たちとその親に対して慰謝料を求めていた。内容はほぼ原告の要求を満たすもので、判決後の記者会見でも父親と代理人である弁護士は、ほぼ満足とのコメントを表明した。
 しかし、犯人たちの親に対する監督義務違反に関する要求は却下され、この点を巡ってさらに原告は控訴する意向であるとも述べた。確かに犯人たちの親の振る舞いは、犯行が発覚する前にもそのあとからも、我が子をかばうだけでなく、本当はいい子なのにこんな事件に巻き込まれてしまったなどと状況をわきまえない発言を繰り返していたようだ。犯人たちはいずれも少年時代から甘やかされ放任され、しかも高級車を買い与えられるなど、どうしようもないバカ息子たちであった。そして彼ら以上にバカだったのが、その親たちだ。親バカという言葉は、必ずしも否定的な意味ではなく、子供に向ける親の愛情の強さを揶揄して用いることがある。しかし、バカな親は別だ。それはずばりそれ以外の意味はない。まさに、この親たちがそうだった。
 原告の須藤光男さんの意図もそこにあった。同じ10代の息子を持つ親でありながら、片や子を失った被害者であり、片や加害者を生み出した。この親たちがまっとうな躾をしていたなら、犯罪は起こらなかった。自分の息子が不幸な被害者になることはなかった。会見場で光男氏は、訴訟は金額ではない、子供の監督責任を取るべきことを親に学んでもらい、ひいてはこうしたバカな親が生み出す子供たちによる少年犯罪を少しでも減らせたら、との思いを込めているのです、と語った。だから、この点を上級審で認められたときに初めて彼の息子への供養が終わるのだろう。