メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

性の問題も政争の道具なのか?

 同性愛者同士の結婚が一部の州とはいえ認められるなど、新しい性の倫理観が浸透しつつあるアメリカでは、本来の倫理的な観点から抜け出して政争の道具として利用される場面があるようだ。3月発行のニューズウィーク日本版のコラムで、マサチューセッツ州ではもはや正当な養子縁組は望めないとの司祭の嘆きが紹介されていた。同州の法律では同性愛者も養子をもらうことが認められているため、ボストンの大司教区が運営する慈善団体の代表を務める司祭は、養子縁組の斡旋を打ち切らざるを得ないと発表した。取り立てて古い価値観や倫理観の人間でなくとも、養親となるためには普通の夫婦であることが必要条件であると考える。よく子供は親を選べない、というがそれは養子でも同じだろう。同性愛者同士だから当然子供はできない。しかし子育てはしてみたい。そんな気まぐれ(あえて言おう)から養子をもらおうというのだ。子供が成長して、自分の親が同性愛者だと知ったら、どんな気分になるだろう。ユニークな親でナイスじゃないか、と感じる子供は少数派のはずだ。何らかの動揺はあるだろう。それがきっかけで、登校拒否とか引きこもりなどの問題を引き起こす可能性も大きい。まさか、親たちは子供に向かって「あなたも自分たちと同じ道を歩いたらいいよ」と言うつもりなのだろうか。そら恐ろしい気がする。宗教関係者でなくとも養子縁組は難しいと思うだろう。アメリカという国は、最近人が自然に目指す方向とはどこか違う方向へ行こうとしているように思えてならない。
 これに関連した性の問題に妊娠中絶がある。同じくニューズウィークで、サウスダコタ州で妊娠中絶をほぼ全面的に禁止する法律が承認されたという。記事によれば、それまで中絶反対を唱えていた共和党にとって有利な決定だったはずだが、同党のケン・メールマン全国委員長はあまり喜んでもいない様子だ。他の州でもこのところ中絶規制に向けた動きが出始めて、中絶権を容認する民主党に対して社会常識に反する急進派のレッテルを貼れるとの見方をする議員も少なくない。しかし共和党の有力者の中には、こうした傾向を必ずしも好ましいものとみないで、むしろ新たな政治的リスクとみなす者もいるという。何故か? 答えは規制の行き過ぎにある。つまりサウスダコタ州の法律で中絶が認められるのは母体の生命を危険に晒す可能性のあるときだけなのだ。なんと近親相姦やレイプの場合は認められないという。象徴的なのがミシシッピー州共和党の大物、クラーク・リードの発言だ。彼は本来は中絶反対派なのだが、最近は運動のバッジをつけて外へ出にくいという。
 一方ではこれまで過激な急進派だったはずの民主党のトマス・ダシュル元上院院内総務は、今度は共和党のほうが急進派と言われる番だ、と指摘する。彼は04年にはこの問題で落選の憂き目を見ている。だからなのだろうか、11月に予定される中間選挙では、本来の急進派であったはずの民主党も中絶問題を争点から外そうとしている。しかし、それでもキリスト教保守派の票が欲しいサム・ブラウンバック上院議員は、レイプや近親相姦は恐ろしいことだが、無実の赤ん坊を罰するのは(つまり殺すのはということだ)、おかしいと語る。マサチューセッツ州ミット・ロムニー知事はこの問題から慎重に距離を置いて、中絶反対派であることを認めながらも今回のサウスダコタの決定に口を差し挟むつもりはないとしている。アメリカでは、かくのごとくに性の問題も選挙とのからみで、状況を見つつあっちへ行ったりこっちへ振れたりと、政争の道具になっている。まっとうな倫理上の論争にはならないのだろうか。どうもおかしい。