メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

誇るべき初恋

 約十年ぶりの中学のクラス会で、話題はT君のことでもちきりだった。
 彼は小、中学を通しての同級生で、世辞にも優等生だったとは言いがたい。とりたててスポーツマンというわけでもない。ただ明るくて愛嬌があったから、いつもクラスの人気者だった。だが、小学校の担任はなぜか、毛嫌いしていじめた。挨拶をしない、忘れ物をした、落ち着きがない……と言っては叱った。授業中に笑っただけで、立たせたりもした。彼自身は「しようがないよ」とさほど苦にしている様子を見せなかったが、誰もが子供心にもあんまりだと感じていた。一度、皆で語らって「今度立たせたら、全員で立とう」と申し合わせ、実際にクラス中で一斉に立ち上がって担任に撤回させたことがある。
 「すごい奴だ」と圧倒されたのは、彼がやはり同級生のNさんと結婚したと伝えられた時だ。Nさんは長い黒髪の物静かな人で、誰も知らなかったが、T君の初恋の相手だったという。中学三年の時、上野動物園に誘って断られ、片想いに終わっていたらしい。
 二人が結ばれたのは中学卒業の十数年後、T君が偶然バスで乗り合わせた別の同級生から、Nさんの消息を聞かされたことがきっかけだった。折からNさんは再生不良性貧血という難病に侵され、まとまっていた婚約を破談にされていた。話を耳にしたT君は急に、一緒にいた仲間に「悪いけど」と告げて次の停留所でバスを降りると、そのままタクシーを拾ってNさんの家に向かった。
 「昔からずっと好きでした」。いきなりプロポーズしたのだという。Nさんは面食らいながらも「ありがとう。でも、私は結婚できる体でないの」と諭すように答えた。それでもT君は諦めも挫けもしなかった。入退院を繰り返し出したNさんを見舞い、励まし続けた。その熱意にいつしかNさんも心を動かして、T君を待ちわびるまでになった。改めてのプロポーズ。「長くは生きられないから」とNさんが固辞するのを、T君が「短い命ならばこそ二人で生きよう」と押し切った。
 晴れて結婚式。だが、その五日後、Nさんは再入院、新婚生活にピリオドが打たれた。T君は毎日、勤めが終わるのを待ちかねるようにして病院に通い、面会時間が終わるまでの数時間をNさんのベッドの脇で過ごした。
 その頃、開かれたクラス会で、誰かが「さびしくないか?」と愚問を口にした。「そりゃあ、さびしいさ。たまらないよ」。作り笑いを浮かべたT君から、存外に素直な返事が返ってきた。毎晩病院から帰ると、ウイスキーを飲む。ボトル一本を空にすることもある、と打ち明けた。
 あれから二十年以上も経つ。Nさんは三十歳そこそこの若さで逝った。それまでの三年余り、T君は一日も欠かさずに病床の妻を見舞い続けた。実は私も一度、病室を訪ねたことがある。しかし、「N」と記した名札が掛かっているのを見てなぜか気後れし、引き揚げてきてしまった。後日、NさんはT君の将来を考え、婚姻の届出だけは頑として認めなかった、と知らされた。
 その後、T君はクラス会に顔を見せなくなった。無理に誘うまい、と決めたが、皆が会うたびに口々にT君を自慢し合う。この間もそうだった。T君をいじめた担任は、小学校卒業時に皆で約束して絶縁したから、誰も消息さえ知らない。