メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

ジダン頭突き事件に見る建前という嘘

 1ヶ月に及んだワールドカップの最後を飾るゲームで注目を浴びたのは、イタリアの勝利以上にジダンの頭突き&退場事件であった、。しかも彼がMVPを獲得したことで、なおさら事態は注目の度合いを強めている。被害者となったマテラッツィを擁するイタリアでは、MVP取り消しの声も高まっているという。例によって、各メディアは正義を振りかざして、ここぞとばかりジダンへの批判が沸き起こっている。スポーツ紙だけでなく、一般紙も夕刊紙も彼に向けられた非難の声を特集した。しかし、どのメディアも本音を隠して、「建前という嘘」を書き連ねていると思えてならないのだが。
 ボールを使った格闘技であり、国同士のケンカだといわれるサッカーで、ジダンは常に紳士的な戦いを見せ、どんな重責を負っても沈着な姿勢を変えないことで人気を得てきた。一転今回の事件で「愚か者」扱いとなった彼が、何故それほど激しい振る舞いをしなければならなかったのか。1日を経ていくつかの情報が報ぜられている。外電を中心にした紙面から伺えることはおおむね次のような内容だ。被害者であるイタリアDF、マテラッツィの暴言が原因であることは間違いなさそうだ。曰く、「人種差別的もしくは家族への発言」あるいは「テロリスト呼ばわりした」などなど、である。その中でブラジルのTV局が読唇術の専門家に依頼してVTRを分析したところ「お前の姉ちゃんは売春婦だ」との説も出てきた。ここからは筆者のジダンファンとしての心情も交えた憶測である。彼本人に関するものではなかった、と思う。つまりそうした個人的な暴言に対してなら、彼は立場や状況も考えて我慢したろう。むしろ気にもならなかったではないだろうか。しかし、家族への暴言、ましてブラジルのTV局の分析のように姉を指して売春婦呼ばわりしたのであれば別だ。映像でも分かるように、いったんはジダンマテラッツィに対して背を向け、立ち去ろうとしている。その背中に向けてマテラッツィがさらに追い討ちをかけている。ここで急に振り向くとためらいもなく、しかも新聞の写真によると拳をしっかりと握り締めものすごい勢いで頭突きをかましている。これは相当な怒りを秘めている証拠だ。彼は貧しいナイジェリア移民の子供として、家族でフランスに来てからサッカー一筋で今の立場を手に入れた。察するに家族の絆は、通常の生活をしている人間よりも強いだろう。

 考えてみて欲しい。他人から無礼な暴言をぶつけられたとき男は怒りを発する。愛する家族に対して発せられた時には、自分自身に対するよりもさらに激しい怒りを感じるものだ。その時、正義感に溢れ、真面目で家族を愛している人間ほどその怒りは強い。そうした状況で、「暴力はいけません、言葉で抗議をすべきだ」などと悠長なことを考えるだろうか。それは建前だろう。つまり嘘だ。異を唱える人もいるかもしれない。であれば、言葉は時に拳よりも人を傷つける、という真実をどう受け止めるのか。彼は何より男であった。正直であった。そしてサッカーという戦いの場にいたのである。当然アドレナリンは相当高まっていたはずだ。こんな視点は間違っているだろうか。 サッカーは奇麗事では勝てない。だからケンカなのだ。仕掛けて被害者面をして見せたマテラッツィ自身、暴言でジダンの気を削ごうとしたではないか。彼はその報復を言葉ではなく、体で受けたに過ぎない。それでもジダンへの弾劾を口にする人に対しては、「ではジダンが我慢して、そのまま試合を続けていたらどうなっていたか?」と問いたい。卑劣なイタ公(これは敢えて言い過ぎを承知しています)の暴言は表沙汰になることはなかっただろう。そして、これからのサッカーの試合では、汚い罵りあいの暴言合戦がエスカレートするに違いない。
 今回が現役引退であること、いったんは代表辞退をしたもののドメネク監督に請われて復帰し、しかもチームを決勝まで導く活躍を見せるなど、大会前から注目度は非常に高かった。MVPの価値は十分にあると思う。メディアの多くが、このMVPについても批判的な意見を述べるサッカー関係者や評論家の声を載せている。しかし、筆者は断言する。この事件は、彼の栄光をいささかも傷つけるものではないと。