メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

現象の背景に潜む意図を汲み上げよう

 アジアの盟主を密かに狙っているかの国には、十分注意を払わなければならない。アジアの環境汚染を一手に引き受けたようなエネルギー消費状況や軍備増強など、目が離せないが、特に気を配るべきは巧みなプロパガンダだ。外交戦略の手段として効果的に生かす点は、我が国でも参考にすべき点はある。しかし感心してばかりでは能がない。常にその裏側に潜む意図を正確に掬い取る感性が必要だ。
 1937年12月、太平洋戦争のさなかに発生したといわれる南京事件。今年はその70周年にあたる節目で、この事件をテーマにしたドキュメンタリーやドラマなど映画公開が目白押しだという。皮切りとなるのが、米・ユタ州で開かれたサンダンス映画祭で初公開される米国製ドキュメンタリー「南京」だ。その後中国製映画「南京!南京!」や「日記」、さらには日本国内では真偽を巡って論争が絶えないアイリス・チャンの「レイプ・オブ・ナンキン」を下敷きにした米英中合作の作品もある。南京事件がこれほど集中して映画話題になったことは、かつてなかったろう。それほど唐突で不自然な感じさえするこの現象であるが、どうも大手新聞など一般メディアは単に現象を羅列するだけで、その背景に透けて見える中国の思惑にまで言及はしていない。筆者はこの点を見据えて、これは中国のある種のインテリジェンス(諜報)活動であり、しかもそれに米英が絡んでいるとあっては、その背景を分析したうえで、我が国も何がしかのカウンターインテリジェンスを講じるべきだと考えていた。
 ところが、これに呼応するようにSAPIO誌の新春特大号で井沢元彦福井晴敏という二人の作家が対談の中で簡単に触れていた。対談の柱は、「日本にも核と戦争論が必要」という一見物騒なものだったが、要は外交や国の方針を見据えて諸外国と渡り合うには情報戦略が不可欠で、この感覚が我が国には圧倒的に欠けている、というのだ。だから、ちょっとした情報操作であっちに振れ、こっちに傾き、ふらふらしてしまう、と語っている。井沢氏によれば「今年は南京虐殺70周年ということで、中国は一大反日キャンペーンを予定しており、南京事件をテーマにした映画が何本も作られるから、そうしたデマゴギーによる宣伝工作に対抗するためにも情報機関が必要だ。逆に文化大革命をテーマにした映画を作るとか、毛沢東の大粛清を暴いた作品を映画化するとかすべきだ」ということだが、それこそまさにカウンターインテリジェンスなのだ。メディアは、そこまでせずとも、少なくとも情報の垂れ流しではなく、背景に迫る視点をふまえて論を展開する問題意識を持ってほしい。