メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

誤認逮捕の裏側にあるものは?


15日付けの讀賣新聞で静岡掛川署による誤認逮捕が報ぜられた。しかし、いみじくも見出しに「目撃証言うのみ」とあるように、記事自体もまた警察発表を鵜呑みにした報道であった。事象を広報の発表にしたがってただ表面的に活字にしたに過ぎない。おそらくこの記事を書いた記者は取材をしていない。
事件は、去る7月9日にJR掛川駅前の路上で会社員が男たちに現金を要求され、殴られて鼻の骨を折る重傷を負わされたというもの。その後、目撃証言に基づいて今月13日朝、少年を容疑者のひとりとして逮捕した。当初の調べでは少年は犯行を否認していたが、後に容疑を認める供述をした。しかしつじつまが合わない点があり、警察は被害者に確認したところ「犯人とは違う」との証言を得て、逮捕から13時間ぶりに釈放したという。

この記事を読んですぐにいくつかの疑問が浮かぶ。まず、7月初めの事件発生から3ヶ月も経過しての逮捕ということは、この間十分な地どり捜査がされたはずだ。であれば犯人像に関する情報は相当詳しく煮詰められていたはずで、なぜ誤認逮捕になったのか。逮捕された少年は、はじめに容疑を否認していながら後から認めたのはなぜか。この誤認逮捕に関して、警察は少年に対しどんな対応をしたのか。まさか、「間違っちゃいました。ごめんね」でチョンではないだろう。誤認逮捕はこれまでにもずいぶんとあるが、一般的に警察あるいは政府からどんな賠償処理がされるのだろうか。今回は確かに軽微な犯罪だろう。だからといってゴメンで済むものではないと思うのだが。それなら警察は要らない。

こうしたいくつかの疑問が、果たしてこの記事を書いた記者に浮かんだのだろうか。記事の最後に、今回の不始末をお詫びし今後は捜査に慎重を期す、との警察署長のコメントがあったが、これとて記者が取材で得たものではない。警察の広報担当からのメモを丸写ししただけのものだ。同じ過ちを繰り返さないために具体的にどんな方策をとるつもりなのか、そもそも今回の原因はどこにあったのか、との問いかけはされていない。ジャーナリストの原点は、書くことだけではない。取材すること、そしてその前に社会のあらゆる事象に疑問を抱くこと。ましてやその相手が権力であるならなおさらだと思うのだが。