メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

竜田揚げの不思議

同世代が顔をあわせて小学校時代の話になると、どんなメンバーの時も決まって、誰かが「鯨の竜田揚げはうまかったな」と言い出す。すると、皆が「ウン、うまかった」「本当に」と応じて、しばらくは給食談義に花が咲く。竹輪の磯辺揚げも好きだった、との声もよく出るが、給食メニューの人気ナンバーワンは半世紀近く経った今も昔も断然、鯨の竜田揚げである。
確かに給食で一番のご馳走だった。付け合わせがあるわけでもなく、アルマイトのお碗に素っ気なく子供の掌大のものが一枚ずつ割り当てられるだけだったが、醤油と油が混然一体となった濃い目の味付けは、子供たちの味覚を惹きつけてやまなかった。肉は筋が多く、おそろしく固いのに、噛めば噛むほど味が染み出してくるようで、皆でいつまでもクチャクチャと口を動かしていたことを思い出す。そうそう、先が割れていて簡易フォークにもなるスプーンで突き刺して食べたものだ。人気の理由の一つは、香ばしい匂いに食欲をそそられたせいかもしれない。昼休みが近づき、給食室から油の焦げる匂いが漂い出すと、今日は竜田揚げだ、と心が弾んだ。
日本人にとって鯨が摂取する動物性たんぱくの七割以上を占めた時代だったが、私の家では年寄りが敬遠したせいか、鯨肉を食べたことがない。竜田揚げが大の好物だったと言いながら、母に作ってほしいとせがんだ記憶もない。鯨のベーコンや脂身はよく食べたという仲間たちも、家では竜田揚げにしたことはないらしい。調理が難しいわけでもなさそうなのに、なぜだろうか。

商業捕鯨が禁止されてから鯨肉は貴重品となってしまったが、居酒屋あたりで竜田揚げのメニューを見つけると、初恋の相手に再会したような懐かしさからつい注文してしまう。そして、そのたびに裏切られ、会わなければよかった、と悔やむことの繰り返しだ。昔と違って肉は箸でちぎれるほどに軟らかいし、味付けが悪いとも思えない。油も給食用より上等なはずなのに、小学校で食べた時のような感動を覚えないのである。
ひょっとすると、今どきの竜田揚げは、落語の『目黒のさんま』で城に戻った殿様に供された油抜きしたサンマのようなものではないか。給食の竜田揚げは目黒の百姓家で出されたサンマで、肉の筋はいちいち切っていないし、噛み切れないほど堅かったが、塩加減がよく、野趣に富んでいたところが魅力的だったのかもしれない。

いやいや、給食の他のメニューとの「食べ合わせ」も考えてみる必要がある。思い出しても、毎日の給食は決しておいしいものではなかった。主食はコッペパン一個か食パンが二切れ。どちらもパサパサしていて、食べると舌がざらついた。ごくたまにバターピーナツやイチゴジャムを塗ったコッペパンや餡ドーナツも出たが、ふだんは一人分ずつ銀紙に包んだリス印のマーガリンが添えられた。
クラスに一人はこれをペロリと一口で飲み込む名人がいて、面白がって級友が差し出すと、名人は銀紙を素早くむいて次々に口に入れる。時々、舌に乗せたマーガリンの塊をいったん口から出して見せた後、ゴクンと飲み込むのを皆でやんやの喝采を浴びせて見守ったものだった。が、私自身は石鹸を嘗めるような味と感じ、ほとんど食べられなかった。名人はいつも何個か手に入れていたから、私同様の敬遠派が相当いたのだろう。
敬遠と言えば、ミルクとは名ばかりの脱脂粉乳は大の苦手だった。黴臭いような、すえたような臭いがしただけでない。甘くも苦くもない代わり、飲むと不気味なほどの味気なさが口中に広がり、直ぐにうがいをせずにはいられなかった。飲み干したアルマイトの食器や教室までの運搬用のバケツの底に、点々と砂が残るのも気持ちが悪かった。
一体、あのまずさをどう表現したらよいものか。大人になってスキムミルク脱脂粉乳と同じと知り、市販品を湯で溶いて飲んでみたが、嫌な臭いはしないし、味はなくても不快ではなかった。スキムミルクが正常な脱脂粉乳だとするならば、給食に出たものはまともではなかったということになる。
当時の私は、きっと身体にもよくないはずだと思い込み、大概は口もつけずにバケツに戻していた。級友の相当数も同様だから、残りが多すぎると問題視され、仕方なく近くの水飲み場まで流しに行ったりもした。六年の時だったか、あんまり皆が飲まないので、校長を囲んで脱脂粉乳を飲むための食事会が催され、十人ぐらいずつ順番に校長室に呼ばれた。その時ばかりは校長の顔を立てるつもりで、というより有無を言わさぬような校長の威厳に圧倒されて、全員が飲み干したが、後は元の木阿弥。まずいものは何と言われてもまずかった。
実は、脱脂粉乳を敬遠した理由は味覚の問題だけではなかった。担任教師のせいでもある。彼は裕福な家庭の子女をえこひいきしたり、女児にむやみやたらと触って、今で言うセクハラを繰り返していたため皆から毛嫌いされていた。ケチでも有名で、まずい脱脂粉乳をいかにもおいしそうにお代わりまでし、パンを浸して食べてもいた。妻子に食べさせる、と欠席者が出て残ったパンを自宅に持ち帰っていたが、できることなら脱脂粉乳も持ち帰りたそうな顔で、たっぷり残ったバケツを未練がましそうにのぞき込んでいた。
給食は教室で担任と一緒に食べるから、そうした姿が嫌でも目に入る。今になって思えば、教え子に何とか脱脂粉乳を飲ませようとの教育的な考えがあったのかもしれないが、ピチャピチャと音まで立てて食器にかぶりつく担任教師の様は、身の毛がよだつほどに下卑ていた。勢い担任がますます嫌いになり、担任が好む脱脂粉乳が汚らわしくさえ映るようになった。
鯨の竜田揚げは、気が滅入る給食で唯一の救いだった。パンと脱脂粉乳がまずいだけでなく、竜田揚げ以外の副食にもろくなものがなかった。変な臭いのシチューもあったし、煮豆やらひじきやら、どう考えてもパン食に似つかわしくない惣菜も多かった。竜田揚げだけがパサパサのパンにも力負けせず、味わい深く感じたのだった。今も皆が竜田揚げに郷愁を募らせるのは、竜田揚げそのものが決して美味だったわけではない。平素の給食がお粗末だったからこそ、である。