メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

フォトジャーナリズム「Days Japan」に寄せて

<「死」とは残酷なもの>
 報道写真家,広河隆一氏が編集長を務める写真月刊誌「Days Japan」が創刊2号を迎えた。4月に発刊された創刊号の表紙は衝撃的だった。戦場で傷ついたいたいけな女の子を抱いている年寄りの写真。可愛い女の子だ。その顔は戦場の埃と塵で汚れていたが、あどけない表情は、美しく成長するに違いないことを感じさせる。閉じられていたが、その瞳はおそらくつぶらな美しいものであったろう。これだけなら今までにもたくさん見てきた戦場の写真だ。ページをめくった瞬間、はっとした。同じ写真があった。しかし、明らかに違っていた。その女の子には脛と思しき部分から下がなかったのだ。白い骨が無残にも剥き出しになっている。クラスター爆弾を浴びた結果だ。表紙を見返してみた。不幸な彼女のその部分には、大き目のゴシック体で見出し文字が覆っている。こうした写真を見るとき、人の視線は無意識に写真の中の表情に行く。そのせいもあって、私は表紙ではその女の子の下肢には気づかなかったのだ。
 広河氏の編集者としてのしたたかさと写真家としての自信を感じ取った。雑誌の表紙には、題字の横に「人々の意志が戦争を止める日が必ず来る」との文字。大胆な言い方かも知れないが説得力がある。そして第2号の表紙にも同じ文字が見える。これは、単なる時事写真月刊誌ではない。戦争という人間の犯す最も愚かな行為を告発し続ける雑誌なのだ。
 
 このところ話題になっている映画のひとつが、キリストの最期の12時間を描いた「パッション(受難)」。アメリカでは一足早く公開されたが、残酷なシーンが多いということで賛否が渦巻いているらしい。しかし、地球のあらゆるところで映画よりもはるかに残酷なことが起こっている。イラクだけではない、アジア、アフリカで東欧で、そして世界中で紛争があり、殺し合いがある。
 先だってアメリカの民間人4人が焼かれてその遺体が晒しものになるという事件がイラクで起こった。残酷なのでTVニュースでは放映を控えたという。そこへこんどは米兵による刑務所内でのイラク人捕虜への虐待事件が明らかになった。残酷なのは殺すことだけではない。生きて人間としての尊厳を踏みにじられることも、否むしろその方がもっと残酷であるとも言える。すべては戦争という狂気が生み出す人間の愚かさだ。私たちは愚かな過ちを犯す可能性を常に抱えている。だからこそ、残酷さに敢えて正面から目を向けることも必要なのではないだろうか。同誌はこうも言っている。「1枚の写真が国家を動かすこともある」・・・写真が語る真実から目をそむけないようにしよう。