メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

データコラム「Nipponチャチャチャ」

040330せいくらべ8

[執筆:三木 賢治(みき けんじ)]

ジャーナリスト。1949年生まれ。

73年、毎日新聞入社。

社会部で事件取材の経験が長く、社会部デスク、編集委員、「サンデー毎日
編集長などを経て、現在は論説委員

◎日本の文化や習慣をテーマに、いろいろなデータを踏まえてちょっと薀蓄
も含めてお届けします。

タイトルは、「日本が面白い。頑張れニッポン」そんな願いを込めて名づ
けました。これからもお楽しみに。◎

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 <遠ざかる子ども>

「大きくなったら何になりたいの?」。小学6年の男児に尋ねた。宇宙飛行
士かサッカー選手か、それとも……と、尋ねた方は当たり前の答えを想像して
いたせいか、返ってきた答えに仰天した。「残業のない仕事をしたい」。一
瞬、冗談かと思ったが、男児は真顔だった。
男児の両親は共働きでいつも帰宅が遅い。だから、男児は放課後を塾や学童
クラブ、祖父母宅で過ごしていた。「残業のない仕事」は、現在の男児にとっ
ての切実な願いでもあったわけだ。さびしくて親の気を引こうと財布を盗んだ
男児を補導した、女性警察官から聞いた実話である。

幼稚園の保母さんの話にも驚いた。「おままごと」は今も女児に人気がある
遊びだが、ひと昔前とは違っている。お父さん役がいない、のだそうだ。遊び
はお母さん役と子ども役だけで進行する。親父の権威が失墜したせいか、仕事
熱心で家庭を顧みぬ父親が多いせいか、いずれにせよ、子どもたちがバーチャ
ルの世界でも父親役を演じられない想像力の乏しさにも問題がありそうだ。働
く母親も増えているから、そのうちお母さん役も消えて「おままごと」は廃れ
てしまうのだろう。
どちらの話も子どもが妙に醒めていて、子どもらしくなくなったといわれる
昨今の風潮と無縁ではあるまい。子どもは本来、屈託なく育っていれば、小さ
な胸一杯に夢を膨らませる。夢を抱けなくさせた原因は、間違いなく親の側に
ある。子どもは現実の生活に欲求不満を抱いて拘泥してしまい、夢の世界へ入
り込む余裕を失っているに違いない。

30年前、テレビに「チビッ子のど自慢」という人気番組があった。週ごとに
優勝した子どもに、冷蔵庫や洗濯機、ステレオなど様々な豪華な賞品から、好
きな品を一つ選ばせるシステムになっていた。大抵の子どもは親の言いつけに
従ってか、電化製品を持ち帰る。ところが、一人だけ違った。フランス人形の
ような可愛いドレスを着た小学低学年の女児は、迷うことなく自分の背丈より
も大きな熊の縫いぐるみを選んだ。満面に笑みをたたえた女児の姿に、子ども
はこうでなくてはいけない、子どもはこう育てたいものだ、と思ったものだっ
た。

子だくさんだった昔に比べ、一般的な暮らし向きは格段に向上している。少
子化が進んだ分、親が子どもに注ぐ愛情も時間も増えているはずだ。それなの
に、子どもたちが伸び伸びと育っていないと映るのはなぜだろう。子どもにか
まっている暇などなかった昔の方が、親と子が接近していたように思えるのも
不思議である。
この間、何が変化したかといえば、バースコントロールが普及し、一方では
人工授精や代理出産が盛んになるにつれ、子は授かりものとの意識が希薄にな
ったことだ。戦争中の産めよ増やせよ策も異状だったが、人の摂理に反してま
ではいなかったのかもしれない。生命の神秘への畏怖を忘れた傲慢さが、子育
てにも悪影響を及ぼしてはいないか。「こどもの日」にはとくと考えてみた
い。


【データ・子どもを産まなくなった女性】
 1人の女性が生涯に産む子供の平均数(合計特殊出生率)は1925年には、
5.11で、当時の女性は平均して5人以上の子どもを産んでいたことが分かる。
その後、合計特殊出産率は低下を続けたが、戦後のベビーブーム時代の1951年
までは1人の女性が3人以上を産んでいた。
 合計特殊出生率が、人口を同水準に保つために必要な「静止粗再生産率」を
下回るようになったのは1974年からで、2002年は1.32まで低下している。同年
中に生まれた子どもの数も前年より1万6796人少ない115万3866人。2年連続の
減少で、1899年の統計開始以来最低となった。