メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

禁じられない遊び

 オーストラリアから伝わった「フラフープ」が爆発的に流行したのは、小学三年の秋だった。プラスチック製チューブを丸めて輪にしたシンプルな玩具で、名前の由来通りフラダンスのように腰を前後左右に振って、落ちないようにしながら体の周りを回して遊ぶ。ちょっとしたコツと敏捷さが必要で、上手な人はいつまでも回し続けるが、下手だと寸秒ともたない。美容に良いと言われたり、体の動きにどこかおかしみがあったせいもあってか、一時は大人も子供も熱狂していた。
 通っていた小学校でも、たくさんの児童が「フラフープ」をランドセルと一緒に肩にかけて登校した時期があった。始業前も休み時間ももちろん放課後も、校庭や廊下で押し合いへし合いながら、技を競った。昼休みの校庭などは、まるでマスゲームが繰り広げられているようなにぎやかさだった。
 クラスメートも過半数が「フラフープ」を買ってもらっていたように思う。私は持っていなかった。友だちから貸してもらっても、慣れていないから思うように回せない。それを見た友だちが「こうやるんだよ」と得意げに模範を示す。それも愉快ではなかったが、格別欲しいとも、他の遊びのように練習してうまくなりたいとも思わなかった。
 同居していた祖父が何度か買ってくれようとしたが、そのたびに断ってもいた。不思議がって理由を尋ねるので、「直ぐにすたれてしまうから」と生意気に答えたことを覚えている。思い付きを口にしただけだが、実際に間もなく流行は突然、終息した。小児科医が子供の成長に悪影響を与えると発言したのをきっかけに、憑き物でも落ちたかのように「フラフープ」は消えてしまったのである。
 祖父は「孫には先見の明がある」と、大仰な喜びようだった。実は当時、大人用の自転車が欲しくて欲しくてたまらず、祖父にねだるタイミングをはかりかねていた。だからといって「フラフープ」が眼中になかったわけでもない。手に入るに越したことはなかったが、言ってみれば大事の前の小事で、なんでもかんでもねだってはまずかろうと子供なりに打算を働かせ、比較的安価な「フラフープ」は遠慮してみただけの話ではあった。

 上機嫌の祖父の姿に好機到来とばかり自転車をねだると、祖父は「そうか、そんなに自転車が欲しかったのか」と妙に感じ入った様子で買ってくれた。値段を忘れられない。一万九千八百円也。毎月の給食費がちょうど「フラフープ」と同額の三百円だったように思う。目先の流行に惑わされなかったおかげで、思惑通り、待望の自転車を手に入れることができ、天にも舞い上がる気分だった。
 一方で潔しとしない何かが胸につかえていた。小賢しいだけで、先見の明など持ち合わせていないのに、祖父を欺いたせいだろう。罰の悪さは後々まで尾を引き、一、二年後に皆が「ダッコちゃん」を腕にはめて歩くようになった時も、西部劇ブームで男児の何人かがモデルガンを収めたガンベルトを締めて登校して来た時も、もはや祖父にねだる気にはなれなかった。今も流行に鈍感なのは、一種のトラウマのなせる業かもしれない。
 それにしても、昔の先生は大らかだった。教室にモデルガンを持ち込めば、今どきの先生なら大騒ぎするところだろうが、格別に目くじらを立てなかった。流行のはかなさや子供たちの移り気な性格を知り抜いていたのか、それとも叱れば火に油を注ぐと考えたのか。懐が深かったことだけは確かである。