メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

歌声学級

 大晦日にNHKテレビの「紅白歌合戦」を観るたびに、決まって中学のホームルームを思い出す。三年間、受け持ってもらった担任教師が歌好きで、年がら年中歌合戦を楽しんでいたせいだろう。
 生徒手帳の後ろの方に付いていた歌集の曲もよく合唱させられたものだが、クラスで何度も何度も歌ったのは歌集にはない「母さんの歌」だった。青森県出身の担任は話し上手でもあり、津軽訛りの朴訥とした語り口で雪国の暮らしぶりを繰り返し話してくれていたから、見たこともないのに、クラスメートの脳裡には歌の情景そのままに囲炉裏端で編み物をしたり、都会で暮らす息子宛ての小包を作る母親の姿が浮かんでいたように思う。担任が不在で自習になった時も、生徒だけで「母さんの歌」をよく合唱した。
 三学期のホームルームは何人かの生徒が一人ずつ教壇の黒板の前に立ち、好き勝手に得意な曲を歌う歌合戦になることが多かった。間違いなく冬休み中に「紅白歌合戦」を観た影響である。担任は教室に歓声、嬌声が渦巻いても、およそ教育的でない歌謡曲ばかりが続いても、目を細めて見ているだけで余計な注文はつけなかった。一年だったから昭和37年ではなかったか。小柄だが腕白で鳴らした生徒が、前かがみになり、袖口がてかついている“お下がり”の学生服の腕を左右に振って、クレイジーキャッツ植木等よろしく「スーダラ節」を歌って、やんやの喝采を浴びた日のことは今も鮮明に覚えている。女子生徒が後に続いて、身体を揺らしながら甘ったるい声で「おひまなら来てよねえ」と、五月みどりを気取って歌った。すると、クラスで一番の堅物で通っていた“お坊ちゃま”が、憤然とした様子で手を挙げて前に進み、三浦洸一の「青年の樹」を直立不動で歌い上げた。透き通った、いかにも実直な彼らしい歌声で、割れんばかりの拍手が起きた。多分、彼なりに教室にふさわしいムードに戻そうとしたに違いない。
 担任がそう仕向けていたのか、黒板の前で熱唱する生徒の多くは、普段はどちらかと言えば目立たぬ存在だった。プリーツの幅が規則より広いスカートを穿き、上履きの運動靴のかかとを踏み潰して粋がっていたおきゃんは、意外にも優しくきれいな声の持ち主で歌唱力も玄人はだしだったから、たちまちホームルームのヒロインとなった。「バケーション」を歌うと、中尾ミエ弘田三枝子よりパンチがあった。皆が褒め、リクエストもしたから、本人も次第に自信をつけたのだろう。三年の時には、「ホイホイ・ミュージックスクール」という素人が参加するテレビの歌番組に予選を勝ち抜いて出演もした。二度の離婚にくじけず、三度目の結婚で幸せな家庭を築いたのも、歌のおかげではあるまいか。
 目立ちたがり屋だったと思うが、ホームルームでは私の出る幕はなく、独唱した覚えはない。その代わり、職員室では何度か歌わされている。昼休みに校庭で遊んでいると、担任に校内放送で呼び出され、何事かと飛んで行けば、担任は「教育実習でいらした大学生の先生に、本校の校歌を聞かせてあげなさい」と澄ました顔で言ってのける。こちらも臆せず、校歌を三番まで歌った。そんなことが二度、三度ある。思い返せば、放課後もミニ歌合戦が続く、愉快なクラスだったが、音楽の授業でどんな曲を習ったかはろくに覚えていないから不思議である。
 担任は校長への出世コースからは外れた五十歳台半ばの飄々としたベテラン数学教師で、反骨精神の持ち主でもあり、生徒たちからは敬愛されていた。当時も管理教育の風潮は強まっており、指導要録から離れた授業が存分にできたとは思えない。生徒にせめてホームルームで自由な雰囲気を満喫させようとしていたのだろうか、それとも、学力一辺倒でなく生徒の個性を引き出そうと工夫していたのか。いや、単に歌うことの楽しさを味合わせたかっただけかもしれない。いずれにせよ、クラスは仲が良く、いじめなどとは無縁だった。
 最近の中学でも、音楽の授業以外でクラスが合唱することがあるのだろうか。教室で堂々と「スーダラ節」を歌えるだろうか。昔に比べて学校は一段と堅苦しくなり、生徒たちは窮屈そうに学んでいるように思えてならない。あの時代でも好き勝手ができたのは、余人の干渉を寄せ付けぬ担任の教育者としての自信と強さのおかげと思うが、担任に限らず、先生方は自由を守ることに熱心だった。
 歌に関しては、昨今のように曲やジャンルのバラエティーが豊富でなく、皆がなじんでいる曲が限られていたことも幸いしたように思う。多種多様な選択が可能になるにつれ、締め付けが厳しくなって、自由が狭められていると映るのは皮肉である。

<データ・ヒット歌謡と発売年=昭和30〜40年代>
▽1955(昭和30)年
 中村メイコ「田舎のバス」、菅原都々子「月がとっても青いから」、宮城まり子「ガード下の靴みがき」、鶴田浩二赤と黒のブルース」、島倉千代子「この世の花」、三橋美智也「おんな船頭唄」、春日八郎「別れの一本杉」、エト邦枝「カスバの女
▽1956(同31)年
 三橋美智也「哀愁列車」、曽根史郎「若いお巡りさん」、コロムビア・ローズ「どうせ拾った恋だもの」、美空ひばり「波止場だよお父っあん」、大津美子ここに幸あり」、鈴木三重子「愛ちゃんはお嫁に」、鶴田浩二「好きだった」
▽1957(同32)年
 浜村美智子「バナナ・ボート」、若山彰「喜びも悲しみも幾歳月」、コロムビア・ローズ「東京のバスガール」、三波春夫「チャンチキおけさ」、石原裕次郎「錆びたナイフ」、島倉千代子東京だよおっ母さん」、青木光一「柿の木坂の家」、小坂一也「青春サイクリング」、フランク永井「夜霧の第二国道」、美空ひばり港町十三番地
▽1958(同33)年
 フランク永井有楽町で逢いましょう」、村田英雄「無法松の一生」、島倉千代子「からたち日記」、平尾昌晃「星はなんでも知っている」、松山恵子「だから言ったじゃないの」、神戸一郎「銀座九丁目は水の上」
▽1959(同34)年
 フランク永井松尾和子「東京ナイトクラブ」、スリーキャッツ「黄色いさくらんぼ」、ペギー葉山「南国土佐を後にして」、水原弘「黒い花びら」、村田英雄「人生劇場」、三橋美智也「古城」、守屋浩「僕は泣いちっち」
▽1960(同35)年
 松尾和子・マヒナスターズ「誰よりも君を愛す」、守屋浩「有難や節」、藤島恒夫「月の法善寺横町」、橋幸夫潮来笠」、西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」、花村菊江潮来花嫁さん」、三橋美智也「達者でな」、坂本九「悲しき六〇歳」、森山加代子「月影のナポリ」、赤木圭一郎「霧笛が俺を呼んでいる」
▽1961(同36)年
 渡辺マリ「東京ドドンパ娘」、五月みどり「おひまなら来てね」、ボニージャックス「北帰行」、仲宗根美樹「川は流れる」、植木等「スーダラ節」、坂本九上を向いて歩こう」、アイ・ジョージ「硝子のジョニー」、こまどり姉妹「ソーラン渡り鳥」、石原裕次郎・牧村旬子「銀座の恋の物語」、フランク永井君恋し」、スリー・グレイセス「山のロザリオ」、西田佐知子「コーヒー・ルンバ」、飯田久彦「悲しき街角」、島倉千代子「恋しているんだもん」、越路吹雪「ラストダンスは私に」
▽1962(同37)年
 橋幸夫吉永小百合「いつでも夢を」、畠山みどり「恋は神代の昔から」、倍賞千恵子「下町の太陽」、石原裕次郎「赤いハンカチ」、ジェリー藤尾「遠くへ行きたい」、田端義夫「島育ち」、北島八郎「なみだ船」、北原譲二「若いふたり」、ダーク・ダックス「山男の歌」、フランク永井「霧子のタンゴ」、五月みどり「一週間に十日来い」、美空ひばり「ひばりの佐渡情話」、中尾ミエ「かわいいベビー」
▽1963(同38)年
 三沢あけみ・マヒナスターズ「島のブルース」、畠山みどり「出世街道」、舟木一夫「高校三年生」、梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」、三田明「美しい十代」、春日八郎「長崎の女」、一節太郎「浪曲子守唄」、坂本九「見あげてごらん夜の星を」、三波春夫東京五輪音頭」、田辺靖雄梓みちよ「ヘイ・ポーラ」
▽1964(同39)年
 松尾和子・マヒナスターズ「お座敷小唄」、二代目コロムビア・ローズ智恵子抄」、青山和子愛と死をみつめて」、都はるみアンコ椿は恋の花」、岸洋子「夜明けのうた」、西田佐知子「東京ブルース」、水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」、ペギー葉山「ラ・ノビア」、越路吹雪「サン・トワ・マミー」、坂本九「幸せなら手を叩こう」
▽1965(同40)年
 美空ひばり「柔」、都はるみ「涙の連絡船」、バーブ佐竹「女心の唄」、二宮ゆき子「まつの木小唄」、倍賞千恵子「さよならはダンスの後に」、高倉健網走番外地」、菅原洋一「知りたくないの」、西田佐知子「女の意地」、北島三郎「函館の女」、和田弘とマヒナスターズ「愛して愛して愛しちゃったの」、美空ひばり「柔」、アイ・ジョージ「赤いグラス」、日野てる子「夏の日の想い出」、山田太郎「新聞少年」、奥村チヨ「ごめんねジロー」、ジャニーズ「涙くんさよなら」
▽1966(同41)年
 マイク真木「バラが咲いた」、舟木一夫絶唱」、布施明霧の摩周湖」、高倉健「唐獅子牡丹」、黒沢明ロス・プリモス「ラブユー東京」、千昌夫「星影のワルツ」、加山雄三「君といつまでも」、城卓矢「骨まで愛して」、美空ひばり「悲しい酒」、西郷輝彦「星のフラメンコ」、園まり「逢いたくて逢いたくて」、山本リンダ「こまっちゃうナ」、橋幸夫「霧氷」、荒木一郎「空に星があるように」、ブロード・サイド・フォー「若者たち」
▽1967(同42)年
 相良直美「世界は二人のために」、ジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルーシャトー」、伊東ゆかり「小指の想い出」、フォーク・クルセダース「帰って来たヨッパライ」、水原弘「君こそわが命」、美空ひばり「真赤な太陽」、石原裕次郎「夜霧よ今夜もありがとう」、扇ひろ子「新宿ブルース」、鶴岡雅義と東京ロマンチカ「小樽の人よ」、ザ・ピーナッツ「銀色の道」、スパイダース「風が泣いてる」、タイガース「君だけに愛を」、中村晃子「虹色の湖」、森山良子「この広い野原いっぱい」、美樹克彦「花は遅かった」
▽1968(同43)年
 高石友也「受験生ブルース」、いしだあゆみブルーライト・ヨコハマ」、タイガース「君だけに愛を」、テンプターズ「神様お願い」、ゴールデン・カップス「長い髪の少女」、青江三奈「伊勢崎町ブルース」、黛ジュン「天使の誘惑」、千昌夫「星影のワルツ」、ピンキーとキラーズ恋の季節」、フォー・セインツ「小さな日記」、都はるみ「好きになった人」、小川知子「ゆうべの秘密」、水前寺清子三百六十五歩のマーチ」、佐川満男「今は幸せかい」、ヒデとロザンナ「愛の奇跡」
▽1969(同44)年
 森進一「港町ブルース」、藤圭子「新宿の女」、内山田洋とクールファイブ長崎は今日も雨だった」、鶴岡雅義と東京ロマンチカ「君は心の妻だから」、シューベルツ「風」、菅原洋一「今日でお別れ」、ザ・ドリフターズ「いい湯だな」、ビリーバンバン「白いブランコ」、カルメン・マキ「時には母のない子のように」、森山良子「禁じられた恋」、由紀さおり「夜明けのスキャット」、和田アキ子「どしゃぶりの雨の中で」、トワ・エ・モア「ある日突然」、新谷のり子「フランシーヌの場合」、奥村チヨ「恋の奴隷」、相良直美「いじゃないの幸せならば」、千賀かおる「真夜中のギター」、皆川おさむ「黒猫のタンゴ」、弘田三枝子「人形の家」、加藤登紀子「ひとり寝の子守唄」
▽1970(同45)年
 藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」、鶴田浩二「傷だらけの人生」、渚ゆう子「京都の恋」、辺見マリ「経験」、朝丘雪路「雨がやんだら」、日吉ミミ「男と女のお話」、にしきのあきら「もう恋なのか」、ちあきなおみ「四つのお願い」、加藤登紀子知床旅情」、ソルティー・シュガー「走れコウタロー」、森山良子「白い蝶のサンバ」、北山修戦争を知らない子供たち」、北原ミレイ「ざんげの値打ちもない」
▽1971(同46)年
 小柳ルミ子「私の城下町」、天地真理「水色の恋」、南沙織「十七歳」、五木ひろしよこはま・たそがれ」、尾崎紀世彦また逢う日まで」、欧陽菲菲「雨の御堂筋」、ペドロ&カプリシャス「別れの朝」、はしだのりひことクライマックス「花嫁」、森進一「おふくろさん」、湯原昌幸「雨のバラード」、上条恒彦と六紋銭「出発の歌」、ヘドバとダビデ「ナオミの夢」
▽1972(同47)年
 ちあきなおみ喝采」、アグネス・チャン「ひなげしの花」、よしだたくろう「結婚しようよ」、小柳ルミ子瀬戸の花嫁」、ガロ「学生街の喫茶店」、宮史郎とびんからトリオ「女のみち」、森昌子「せんせい」、三善英史「雨」、和田アキ子あの鐘を鳴らすのはあなた」、天地真理「ひとりじゃないの」、山本リンダ「どうにもとまらない」、芹洋子「四季の歌」、フランク永井「お前に」、朱里エイ子「北国行きで」、青い三角定規太陽がくれた季節」、チェリッシュ「ひまわりの小径」、郷ひろみ「男の子女の子」、美川憲一さそり座の女」、石橋正次「夜明けの停車場」、野口五郎「めぐり逢う青春」
▽1973(同48)年
 沢田研一「危険なふたり」、かぐや姫神田川」、八代亜紀「なみだ恋」、麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」、五木ひろし「夜空」、チェリッシュ「てんとう虫のサンバ」、ペドロ&カプリシャス「ジョニイへの伝言」、アグネス・チャン「草原の輝き」、金井克子「他人の関係」、井上陽水「夢の中へ」、浅田美代子「赤い風船」、あべ静江「水色の手紙」、桜田淳子「私の青い鳥」、渡哲也「くちなしの花」、フィンガー5「恋のダイヤル6700」、小坂明子「あなた」、野口五郎「君が美しすぎて」、西城秀樹「情熱の嵐」
▽1974(同49)年
 森進一「襟裳岬」、山口百恵「ひと夏の経験」、殿さまキングス「なみだの操」、さくらと一郎「昭和枯れすすき」、梓みちよ「二人でお酒を」、中条きよし「うそ」、敏いとうとハッピー&ブルー「わたし祈ってます」、井上陽水「心もよう」、クレープ「精霊流し」、西城秀樹「傷だらけのローラ」、ウィークエンド「岬めぐり」、海援隊母に捧げるバラード」、中村雅俊「ふれあい」、夏木マリ「お手やわらかに」、森昌子「あおかさん」、アン・ルイス「グッドバイ・マイ・ラブ」