メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

曖昧な表現の裏から真実を抉り出せ

 政治家と金の問題に揺れた阿部政権から福田政権へと変わっても、相変わらずゴシップの種は尽きないようだ。自民党政府を追い詰める役割を担うはずの民主党の最高顧問、平成の黄門様といわれた渡部恒三氏に事務所運営についての不祥事が持ち上がった。今朝の紙面では各紙いっせいに報ずるところとなったのだが、その記事中で「事務所の実態は議員会館にあり、実態に即していないと言われればそうかも知れない」との秘書氏のコメントが紹介されていた。この発言の裏を勘ぐれば、つまり「実態に即していないと指摘する声もあるが、それはそっちの勝手でしょ。こちらにはそれなりの事情があるんです」ということではないだろうか。さらに「事務所の実態は議員会館にあったが、届け出ることができなかった」とも述べるが、これは「届け出ること」ができなかったのではなく、要はそれをしなかったのだろう。こうした曖昧な言い回しは、日本独特の表現スタイルだ。一応認めているようでいてその実、世間がそう言うから仕方なく認めているような言い方をしているだけで、本音は違う。こうした曖昧な表現をそのまま直接話法で記事にする日本のメディア、特に新聞報道は、もっと曖昧さの裏に潜む本音なり真実を抉り出すことに情熱を傾けるべきだろう。
 同日付の朝日新聞では、ネット上の百科事典「ウィキペディア」への官庁からの修正の書き込みや情報の削除騒動に触れていたが、ここでも曖昧語が溢れていた。例えば、日本初のひらがな表記の県庁所在地であるさいたま市についての、大阪府庁の職員の書き込みであろう。市名が「悪評紛紛であり、しばしば『珍地名』として揶揄される」と加筆したことに対して、府のコメントは「好ましくない行為と言われればその通りでしょう」であった。一方被害者ともいえるさいたま市は、「個人の意見のようなので特にコメントはない」と言うのだ。このふたつの言い方を別の表現にしてみると「好ましいかどうかなんて知ったこっちゃない。一職員が勝手にやったことで、そんな細かいことにまで気を使っていられない。そちらがそう言うなら、そうなんでしょうよ。(大阪府)⇒大阪府さんが公にやったのなら、多少は文句も言いますが、個人が勝手になったので証拠を挙げるの面倒だし、さいたま市民はそんなことで目くじら立てませんでしょうから(さいたま市)」という翻訳もできそうだ。こうした曖昧表現を耳にしたとき、記者の皆さんはどうして「ということは、〜〜という意味になるんでしょうか。どうなんですか?」と突っ込んでいかないのだろうか。