メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

まじめいじめみじめ

 母校の小学校と中学が、そろって今年度限りで統廃合の憂き目に遇うことになった。人口ドーナツ化現象少子化の影響で児童、生徒が減っているとは聞いていたが、東京23区内でも山手線の外なのでまさか廃校になるとまで思ってもみなかった。小中学校がどうなろうと暮らしに響くわけではないが、消えてしまうとなると、やはりさびしい。地元の同窓生には助命嘆願の動きもあったようだ。
 ふと、小学校の同級生のS君は喜んでいるのではないか、と思った。友だちがおらず、いつも一人ぼっちだったから、傍目には学校が楽しかったようには感じられない。思い出は学校ごと消えてしまえ、と願っていたとしても不思議ではない。
 嫌味な男ではあった。あごを突き出すようにしてこまっしゃくれた物言いをし、食って掛かったりもしたから、口を利けば不愉快になる、と皆が相手にしなかった。運動音痴のせいか、遊びの輪に加わろうともしなかった。2Hの鉛筆で神経質そうな字を書き、5年の時分から「日に7時間勉強する」と自分から話すガリ勉でもあった。だからといって秀才という印象はなかったが、小学校卒業時の寄せ書きに「東大に行って茅さん(当時の茅誠司総長)に会いましょう!」と書いて、皆を驚かせた。

 6年のある日の昼休み、S君が教室の前で数人の級友から暴行された。私が校庭から戻って来た時、S君は廊下に倒れ、なおも何人かが取り囲んで腹や足を蹴り上げていた。私は学級委員として止めるべき役回りだと心得ていたし、図体も大きかったのでその気なら止められたが、直ぐにはそうしなかった。加害側が手加減していることに安心し、何がきっかけかは知らないが、たまにはお灸をすえた方がよいと考えたせいだった。
 S君が悔しそうな表情で早退すると、間もなく母親が血相を変えて教室に飛び込んできた。担任教師は暴行の有無を確かめるまでもなく、「子供のけんかだから」と取り合おうとしなかった。母親が渋々引き上げた後、入れ替わりに小さな商店主をしていた父親がやって来て、担任に釈明を求めた。
 担任は面倒くさそうに「どんな状況だったんだ?」と、私に質した。私はまじめな顔でこずかれただけだと言い、元はと言えばS君が生意気だからいけないのだ……と答えた。授業中の教室でのやり取りだから、聞いていた級友たちは「そうだ、そうだ」とはやし立てた。担任はうなづきながら父親に「そういうことですから、お引き取りください」と告げた。担任も明らかにS君を毛嫌いしていたせいか、それきりで終わった。

 その日の出来事は、中学を卒業してS君と顔を合わせなくなってからすっかり忘れていた。だが、80年代になっていじめが社会問題化した折、なにかの拍子で突然、20年近く前の記憶が鮮明に蘇った。廊下に倒れ、細い目をキョロキョロさせていたS君の脅えた顔つき、担任の冷ややかな対応、そして、集団暴行を敢えて止めず、加害者側をかばい立てした己の行動を。
 直接暴力を振るう以上に、卑劣だったと悔やんだ。級友に口裏を合わされ、担任には取り合ってもらえず、S君はどれほど辛く、惨めだったか、と申し訳なく思った。そうだ、あれこそがいじめで、自分も加害者の一人だった、と遅まきながら気付きもした。あの後は暴力沙汰はなかったが、S君は無視され続け、中学に進んでからも孤立していた。

 S君が大学を出た後、小さな店を継いで主人に納まったこと、今も独身でいることを風の便りで聞き、妙に気になって二度三度、車で見に行ったことがある。その都度S君は店の奥で気難しい顔をして本を読んでいた。昔はそこに母親が座っていた。勉強ばかりしていると言うS君をからかい半分で遊びの誘いに行くと、母親はあわてて店から出てきて私たちを制し、10円の森永キャラメルを一箱ずつくれながら「お勉強しているからまた遊んでね」と追い返したものだった。
 小母さんも悪かったよ、となじりたい気持ちもあるが、S君を思い出すたび心が疼く。学校は消えても、苦い記憶は消えそうにない。

<データ・いじめ>
 小中学校でのいじめが社会問題化したのは1980年代半ばのこと。校内暴力や体罰の増加に比例する傾向が認められ、家庭でのしつけの問題や教師の指導力の低下なども要因として指摘された。84年11月には、大阪産業大高校で男子生徒がいじめの仕返しで同級生2人に惨殺される事件が起き、85年9月には、福島県いわき市の中学生が同級生から金銭を強要されるなどのいじめを受けて自殺。86年2月には、東京都中野区立富士見中の男子生徒が「葬式ごっこ」などのいじめを苦に自殺した「鹿川君事件」が起きている。
 しかし、学校内でのいじめは決して新しい問題ではなく、戦争中に都会の児童が疎開先で地元の子供たちからいじめられたケースは枚挙にいとまがない。60年代に問題になった大学の体育会での「しごき」も一種のいじめだろう。
 90年代に入ってから、いじめは沈静化に向かったように映り、警察が検挙、補導したいじめによる事件は毎年100件前後で推移しており、検挙人員が減少していることから、組織的ないじめは目立たなくなっているが、依然として水面下で気弱な児童・生徒が泣かされている可能性は大だ。