メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

いじめが自殺につながる日本の土壌

 いじめからの自殺、卒業履修単位不足、学校によるいじめ隠し、さらには教師自身によるいじめへの加担など、今日本の教育現場が大混乱といってもいいほどの惨状を呈している。その中で、浮き彫りにされているのが、何故いじめが自殺の原因になってしまうのかという指摘だ。どうもメディアの焦点は、いじめの犯人探しや学校の隠蔽体質にばかり向いているようで、大事なポイントが抜け落ちている感じがしてならない。いじめはなくならないし、最近急に増えてきた現象でもない。昔からあったことだし、日本だけの特殊な現象でもない。なのに、何故か日本ではいじめ=自殺の引き金、との図式が妙に浸透している。背景にあるものはなんだろう、と思っていたら、対照的な二つの記事が相次いで掲載された。一つは11月3日付の読売新聞人物コラム「顔」欄に登場したヤンキー先生こと義家弘介氏のコメントであり、もうひとつは日経のブログ、ビジネスオンラインで紹介された宋文洲氏のコメントである。
 お二人のプロフィールを確認しておこう。まず義家氏は、すでにご承知の方が多いだろう。安倍首相の肝いりで発足した教育再生会議担当室長への就任を契機に新聞の取材を受けたもの。一方、宋文洲氏は1963年6月中国山東省生まれ。84年中国・東北大学を卒業後、日本に国費留学したが、天安門事件で帰国を断念し、日本で就職した。しかしその会社が倒産したのを契機に、92年ソフト販売会社のソフトブレーンを創業し、代表取締役社長に就任した。日経はじめ多くのメディアやネットで活発な発言を展開している。
 まず義家氏の主張である。氏は、就任後すぐに各地でいじめや学校の隠蔽事件が起こったのを受けて、先月25日には福岡県筑前町に赴き、両親や校長と話し合いの場を持ったという。「教育は待ったなし。今やらなければ、子供たちがしんどい思いをする」と語り、「大人は本気で動こうとしている、かけがいのない命をどうか消さないで欲しい。一緒にがんばろう」と子供たちに向けてメッセージを発信する。僕たちもがんばるから、当の子供たちにもがんばれ! との思いを熱く語りかける氏のスタンスは、メディアはじめ各方面から広く共感を呼んでいる。一方で「がんばらなくてもいいんだよ」と一見逆のメッセージを発するのが、宋氏である。子供たちの自殺に対して、あるいは自ら死を選択せざるを得なかった、子供たちの取り巻く背景に胸を痛める。氏は同時に怒りを覚えるともいう。彼の怒りの矛先は、言い逃れをする先生でもいじめを行った子供でもなく、「自殺してしまった子供に逃げ道を教えないすべての大人」に向けられる。何故がんばらなければいけないのか? そのヒントが、岐阜県瑞浪市瑞浪中学校の2年生女子生徒の遺書にあると指摘する。彼女が遺した「もう、何もかもがんばる事に疲れました」との手紙=遺書の一節は、何度も報道されているのでご存知の読者も多いだろう。この世からいじめはなくなると思いますか?との氏の疑問を待つまでもなく、否との答えが多いはずだ。氏は、中国の天安門事件の渦中にあって、まさに国からのいじめに遭遇した。それは今学校で蔓延しているいじめとは比較にならないほどの苛烈なものであった。しかし、自身も死のうと思ったことはなかったというし、その周囲でも死を口にする人間はいなかったという。何故か? 
 日本では、例えば部活がしんどい、友達とうまくいかない、いじめに遭うなどの状況に追い込まれた生徒に対して、とにかく頑張って、と言葉をかける。これに対し頑張るとは、聞こえはいいが要は我慢することだと指摘する。そのためには、自殺に追い込む日本の「空気」というものに目を向けてほしいとも語る。日本には、声を出して叫びたくても、それを封じ込めてしまう「空気」があるのだという。いくら声を上げても、戻ってくる答えは想像できてしまう。それが、頑張ってなのだ。あくまで仮定としながら、自殺した少女が部活の人間関係がつらくて「辞めたい」と思っていた時に、「つらいなら、辞めなさい」とか「学校を変えてみる」と逃げ道を与えていたら、状況はどうだったのだろうかと投げかけをしている。