メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

空中自転車

 5年ほど前になるが、ロシアのユジノサハリンスクを訪ねた時だ。裏道を歩いていて、奇妙な光景に出合った。4、5階建ての集合住宅の窓のあちこちから、自転車がぶら下がっている。ハンドルと荷台に紐を通して窓枠などにしばりつけているらしく、地面を走る時のままの格好で宙に浮いている。どこか危うく、滑稽でもあり、不気味でもあった。
 街の人に聞くと、泥棒よけの工夫なのだそうだ。集合住宅には自転車置き場も見当たらなかったが、屋外に置けば簡単に盗まれてしまう。自転車の鍵などはお守り代わりにもならない。居室にしまい込めば狭い室内が余計に狭くなるし、日本の集合住宅のようなベランダがないから、自転車は窓の外にぶら下げておくのが一番、ということらしい。エレベーターもない住宅が多いのに、わざわざ自室まで運ぶとはご苦労なことではある。
 ソ連の崩壊後、当地の治安は想像以上に悪化しているようだ。マフィアが暗躍し、物資不足を背景に強盗や窃盗が横行している。友人の一人は空き巣に入られ、テレビやビデオなどの電化製品のほか、地中に貯蔵していたジャガイモまでごっそり盗まれた、と嘆いていた。警察は頼りにならず、自衛に知恵を絞るしかない。自転車を宙吊りにするのも生活の知恵だが、ロシアでは自転車が貴重品であることも忘れてはならない。

 日本でも昔、自転車は貴重品だった。1954年のプロ野球日本シリーズで、最優秀選手に輝いた西鉄ライオンズ川崎徳次投手に贈られた賞品も自転車だった。私が自転車を買ってもらったのは小学3年生の時だから、その3年後にあたる。当時は「貸し自転車店」があちこちにあり、ペンキを分厚く塗りたくった年代物の自転車を大小取り揃えて時間貸ししていた。賃料は1時間あたり10円か20円ではなかったか。子供用を3、4回借りて練習し、乗る自信がついたところで孫に甘い祖父に自転車をねだった。
 祖父はちょうどテレビを購入しようとしていたらしく、私に「テレビとどちらが欲しいか」と尋ねた。間髪入れずに「自転車」と答えると、「そうか、そんなに自転車に乗りたいのか」と妙に感じ入った様子で自転車を買ってくれた。その代わりではないが、「成長に合わせて買い換える余裕はないから」と買ってくれた自転車は大人用で、初めのうちはつま先しか地面に届かなかった。
 それは大事にした。毎日のように油を注し、スポークの一本一本までピカピカに磨き上げた。サイクリングにもよく出かけた。1時間ほど掛けて多摩川の土手に通ったものだし、6年生になると、友だちと冒険気分で江ノ島、鎌倉や印旛沼手賀沼へと足を伸ばした。
 宝物でなくなったのは、いつ頃からのことだろう。自転車に乗る機会がなくなるにつれ、魅力も失せた。最近も単身赴任先で、健康のために自転車通勤を試みたが、調子が出てきたところで自転車を盗まれてしまい、頓挫した。その時もさほどのショックを受けなかったのだから、自分でも不思議である。
 1万円を割る価格で安売りされるせいもあってか、町には自転車があふれている。全国の自治体が撤去する放置自転車だけで年に260万台を超すという。自転車泥棒も日常茶飯事で、盗む方も盗まれる方も無頓着になるほど自転車は消耗品と化した。自転車の普及が、人々のモラルまで崩壊させたように思えてならない。自転車を宙吊りにしなければならぬロシアの治安事情と比べ、どちらがマシなのだろうか。