メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

めちゃぶつけ、消えた

 「めちゃぶつけ」というボール遊びに興じたのは、小学5年か6年からのことだ。中学でも盛んだった。自分たちだけの勝手な遊びかと思っていたら、他の中学でも行われていたらしく、高校でもずい分流行したものだ。
 ルールは単純。ボールを持ったら、誰かまわずにぶつける。当然相手は逃げるから、追いかけて投げる。当たろうが当たるまいが、ボールを拾った者が次に投げる。だから、全員がボールと一緒に走り回る。参加者が多いほど入り乱れ、標的が増えるので面白い。使うボールは、ドッジボール用でもバレーボール用でもテニス用でもよい。軟式野球用も使ったが、これだけは痛すぎて駄目だった。
 チームも仲間もない。自分以外は皆が敵。勝ち負けや得点なども問題外。単純に投、走、守を競う。と言えば聞こえが良いが、ぶつけられた相手が痛がるのを見て、少々残酷な快感を覚えるところに醍醐味がある。腹や胸に投げてもキャッチされてしまうから、できるだけ相手に近づいて、顔や肌が露出している手足を狙う。太ももやふくらはぎにぶつけられると、ゴムまりでも痛かった。
 攻撃は至近距離でも背後からでも許された。相手が投げたボールを両手で受け、間髪入れずに、態勢を立て直せずにいる相手にぶつけたり、逃げる相手のくるぶしの辺りにぶつけて転倒させると、ファインプレーとされた。名手はヒーローだった。逆に誘われても加わらなかったり、逃げてばかりいると弱虫とされるので、男の意地と誇りの争いでもあった。また、ぶつける時に力を抜けば、えこ贔屓となじられるから、いつも思いっきり投げるのがルールといえばルールだった。

最大のポイントは、場所を定めないことにあった。別のグループが野球や縄跳びやドッジボールに興じている場所でも、強引に入り込み、平気でボールをぶつけ合いながら通り抜けていく。侵犯された側は我慢するしかない。文句を言おうとした時には、集団は疾風のごとく走り去っているのが常だった。
 なぜ、他人の邪魔までして遊んだかと言えば、要するに、校庭が全員で遊ぶには狭すぎたからである。学校は子供であふれ返り、小学校は午前、午後の2部式授業まで行なわれていた時代だから、休み時間も楽ではなかった。ベルが鳴ってから校庭に出て、皆で鷹揚に構えて何をしようか、などと話し合っていたのでは場所がなくなってしまう。次の休み時間は三角ベースをするぞ、と決めたら、足の速い者が皆のグローブやバットを抱えて飛び出し、慌しくベースの位置に広げて陣取りをしなくてはならない。
 めちゃぶつけは、何かの都合で陣取りが出来なかった時の遊びだった。狭い校庭を効率よく使うための生活の知恵と言えるかもしれない。邪魔された側から大した文句が出なかったのも、お互い様だったせいだろう。そう言えば、込み合った校庭以外ではしなかった。ゆったりした気分では、闘争心が生まれず、フラストレーションも解消されず、この遊びの魅力が失せてしまう。

今の子供たちに教えても、興じる者はいるまい。それどころか、相手に痛い思いをさせて快感を得ると言ったら、変質者扱いされかねない。父母や教師も目を剥くに違いない。
 めちゃぶつけは多分、戦後のベビーブーマーと呼ばれる人々にしか理解できない遊びではないか。プールも体育館もなく、二宮金次郎像だけがやけに立派な学校で、すえたような臭いがする教室に押し込まれ、遊び場にも困った。進学するには高校、大学の狭き門に泣き、多くは貧しくて学資にも事欠いていた。八方ふさがりの暮らしの中で、束の間の発散の場がめちゃぶつけだった。
 就職して、企業戦士に象徴される働き蜂となってからも、その暮らしは基本的には変わらなかった。子供たちには自分と同じ道を歩ませたくないと、あるいは住宅ローンの返済のために、なりふり構わず働き、仲間を蹴落としてまで出世競争を展開した。何もかもが、めちゃぶつけの延長戦ではなかったか。めちゃぶつけと同様、懸命にはなったが、峻厳なルールも高邁な哲学も欠いていた。誇れるような収穫があったわけでもない。はかない快感に翻弄されてきただけ。「めちゃぶつけ世代」の悲哀を感じずにはいられない。
 世代としての唯一の強みは、戦後民主主義の発展と歩調を一にしてきたせいか、正義感に長け、全共闘運動に象徴される大衆運動の熱気を知っていることかもしれない。社会の第一線から退き始めた今、「めちゃぶつけ世代」はもう一度、ボールを手にして何かにぶつけようとするのか、このままゲートボール世代へと移行してしまうのか、自分の老後と重ね合わせつつ気がかりでならない。 


【データ:学校の移り変わり】
(年 度)-----(在学者)------(教員数)-----(学校建物面積)                    小学 / 中学----小学 / 中学
昭和25 --- 1119 / 533 --- 61 / 44773 ----- 22267
昭和35 --- 1259 / 590 --- 82 / 52164 ----- 26907
昭和45 ---- 949 / 472 ---102 / 59831 ----- 36104
昭和55 --- 1183 / 509 ---127 / 84225 ----- 46850
平成2 ------ 937 / 537 ---136 / 99100 ----- 59296
平成7 ------ 831 / 457 ---135 /102389 ----- 61692
平成11 ----- 750 / 424 ---133 /103493 ----- 62850
平成15 ----- 723 / 375 ---132 /104161 ----- 63572

※在学者と教員数(幼稚園から大学までの総数)は単位は万人。面積は千㎡。