メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

弁護士が守るのは真実ではないのか?

 山口県光市の母子殺害事件における、異常な20人以上もの弁護団の異常な論旨展開など、このところ弁護士が法廷で果たすべき役割は何だろう、と考えさせることが多い。法律の番人、弱者・正義の味方とのイメージがどうも持てないのだ。昨年8月、酒酔い運転で前の車に追突し、乗っていた子供3人の命を奪った挙句、逃走した福岡市の元職員の論告求刑が行われた。検察側の求刑は、危険運転致死傷とひき逃げの道路交通法違反により、最高刑の25年であったが、弁護側は運転へのアルコールの影響を否定して業務上過失致死傷の適用を主張した。これだと最高でも懲役7年6月である。事故当時の被告の血中アルコール濃度は、1ml中1.0〜0.9mgとみられており、これは検察が行った実験では「酩酊状態」で、とてもクルマの運転ができる状態ではなかったとされている。当時の報道などからも、被告が酒を飲んでいて、それもかなりの量でふらふらだったのは明らかである。なのに、弁護士は「被告のアルコール摂取は運転には影響なかった」というのだ。何をもってこうした論理を展開するのだろうか。
 冤罪事件ではもちろん、通常犯罪でも正確な法の適用を目指し、過剰な取調べや自白強要など不正義がなされないようにするのが弁護士の仕事である。そこに求められるのは、法の下の平等であり、真実だけを論ずる法律家としての矜持である。しかしどうもそれだけではないらしい。強引でも事実を捻じ曲げて、刑を軽くすることが弁護士の仕事らしい。もちろん弁護士がすべてそうだというのではないが、この裁判にせよ山口県の例にせよおよそ一般的な感覚での正義とは程遠い弁護活動に疑問を感じてならない。