メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

キレる中年に意義あり

 朝日新聞の記事から、さらにTVでも取り上げられたが、「キレる中年」がこの10年で急増しているのだそうだ。キレるのは、若者の専売特許の感があったが、分別盛りの中高年である50〜60代にキレる現象が目立っているらしい。確かに電車や駅、あるいはデパートとか公共の場所で何でそんなに?と訝しくなるほど、激しい怒りを見せる中高年の特に男性を目にすることが増えてきたような気がする。仕事や家庭あるいは社会全体からのいろいろなストレスが引き金になっているのか、との指摘もある。それにしても気になるのは、この年代は筆者が属する団塊の世代を中心とする広がりの中にあることだ。わが身を振り返ると、ちょっと思い当たることがなくはない。しかし、だからといって怒れる中年にならないよう行動を慎もうとは実は思っていない。むしろ逆だ。どんどん怒りを外に発散しようとさえ思っている。
 言い訳ではないが、今の世の中、他人に無頓着で気遣いのない無神経な態度や発言をする人間が多いのだ。その一方では、見て見ぬフリをする事なかれ主義も蔓延している。典型的なのが、このコラムでも以前に触れたJR車内での乗客数十人の目の前で起こった強姦事件だ。この事件などは単なる事なかれではない。共犯ではないか。この乗客の中にはキレる中年はいなかったのだろうか。感情を表に出さず、無表情だったり無言だったりする風潮も増えている。自分勝手な理不尽な怒りは恥ずべきことだが、こうしたおかしな社会の風潮に向かって、正面からきちんと指摘することは誰かがやらなければいけない。理不尽な怒りは弱者に向けられることが多い。例えば駅員さんやデパートの販売員に向けれられるのは、立場上どんなに客が理不尽であっても抗弁できないから弱者だろう。自分の立場の優位性を背景にして、かさにかかって相手を責めるのは卑怯だ。我々男性の立場からいえば、もちろん子供や女性、お年寄りなども弱者になる。筆者が言いたいのは、社会通念上見過ごしにしてはいけない理不尽な振る舞いを見過ごしにしてはいけない、ということだ。
 いくつか筆者の体験から例を挙げよう。電車の通路に長い足を投げ出して座る男。ほとんどが若い。普通の乗客は、その足を避けてあるいはまたいで通っていく。私は軽く蹴飛ばして行く。もちろん軽く会釈することで無用の摩擦は避けるようにしている。『あれ、おどろいたな〜、こんなところに足があった。避けようとしたんだけどぶつかっちゃった』てな感じである。蹴られた方はあわてて足を引っ込める。しかし、相手が悪質な場合、ストレートに怒りをぶつけることもある。ある時、片側2車線の信号のある横断歩道を自転車で渡ろうとした。信号が青に変わってからゆっくりと渡り始め、真ん中あたりに差し掛かったときだ。左から右へかなりのスピードで走り抜ける乗用車があった。悪質な信号無視だ。見落としかもしれないが、それは理由にならない。たまたまそのクルマはその先の信号で止まった。完全な赤信号だったから、今度はそこで止まるしかなかったのだ。私は、自転車でそのクルマを追いかけ、助手席側のドアを蹴ってやった。運転手は怒って「何をするんだ」と言うから、私は「そっちこそ悪質な信号無視だ。すぐそこに警察があるからそこで話ししよう。俺の後からついて来い」とかなり元気よく言葉を発して、道案内すべく先にたって走り始めた。少しついてくる気配を見せたが、結局そのクルマは逃げてしまった。そりゃそうだろう。ドアを蹴られたといっても別に凹んでも傷になったわけでもなかったから、そのまま警察に同行したら損するのは自分の方だと判断して逃げたに違いない。後から家族に話したら、「いつか刺されるよ」とからかわれたが、そういう場面では怒りをストレートにぶつけるのが私流。もしあの特急に私が乗り合わせていたら、犯人に対して直接行動を起こさないまでも、犯行を防ぐために間違いなく何らかの行動を起こしたはずだ。目の前の不正義や事なかれ主義、自己チューで他人への配慮をしない風潮にささやかな抵抗を続ける事はこの先も止めないだろう。