メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

匿名性とプライバシー保護の過剰

 このところ役所や学校で、本来必要な保護対象者の個別情報や連絡網のための生徒の情報が個人情報保護を盾にして入手できない状況が続いている。こうした状況に対応して個人情報保護法の改正も検討されているとの記事が数日前の新聞紙面でも報道された。社会の中から個人の顔が次第に消えていくのが心配だ。こうした不気味な現象の向こうから透けて見えるもうひとつの気になる現象が、匿名社会の拡大だ。名前を出さないことが当たり前になると、顔や名前を出さないで、あるいは仮面をかぶってものを言うのが普通になりはしないだろうか。顔が見えるからこそ自分の発言に責任を持つようにもなるし、神経を使うようにもなるはず。そういう習慣が希薄になって、言葉で人を傷つけることに無頓着な風潮が定着するのが怖い。プライバシーの過剰保護と匿名性の拡大は、表裏一体となってこの社会をこの国をどんどん怪しげな方向に導こうとしているのではないだろうか。
 こうした社会的な現象のきっかけ作りに一役買っているのがマスメディアではないか。報道の対象となる個人について、匿名か実名かの判断基準となる年齢の線引きが20歳、つまり成年と未成年となっている我が国では、犯罪だけでなく、多くが匿名報道となる。しかも昨今さまざまな問題が発生する学校では、匿名だけでなく情報の秘匿が当たり前のようになっている。2ちゃんねるの例を待つまでもなく、ネット上に溢れる情報やブームとなっているブログも匿名が非常に多い。当然のように責任の所在を明らかにしないままの発言も多くなる。対照的なのがアメリカだ。1999年の米・テキサス州コロンバイン高校での銃乱射事件のときの現地の報道に実は驚いた経験がある。たまたま仕事で渡米しており、事件の翌朝、宿泊先のホテルで朝食を摂っているとTVの前に人だかりがしている。なんだろうと近寄ってみると、まさに現場からのレポートをオンエアしている真最中だった。その画面で驚いたのは、犯人の2人の高校生はもちろん、現場で捜査を指揮する保安官やその学校の高校生たちがインタビューを受けているのだが、すべて実名なのである。犯人達は顔写真付で報道されていた。その数日後に帰国したのだが、さすがに衝撃的な事件だけあってこちらでも続報などいくつかの報道に接する機会があった。そしてそれらはすべて、匿名であり犯人達の顔写真も公表されてはいなかった。なんだか可笑しくなってしまった。海外での事件ではあっても、こちらでは未成年ということで、匿名扱いした。しかし肝心の当事国では、すべて関係者も含めて実名で顔写真も公表する。そしてネット上では、いまやアメリカの情報でも瞬時にして広まる時代だ。なんだか日本のマスメディアのやっていることが、無駄なことのような気がしてならなかった。