メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

<データ・円谷選手の遺書>

 オリンピック東京大会のマラソンの銅メダリスト、円谷幸吉選手はメキシコ大会を前にした1968年1月9日、27歳の若さで勤務先の東京・練馬の自衛隊体育学校宿舎でカミソリ自殺した。素朴な言葉で親族への感謝の気持ちを書き連ねた遺書は、飾り気がないだけに、かえって読む者には円谷選手の苦悩が迫り来る。心を打つ文章として作家・川端康成をも感嘆せしめた。非凡な才能と不断の精進ゆえに「国家的使命」を背負わされた、アスリートの悲劇だった。全文は以下の通り。

 「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。干し柿、もちも美味しうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しうございました。ブドウ酒、リンゴ美味しうございました。巌兄、姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しうございました。喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。幸造兄、姉上様、往復車に便乗さして戴き有難うございました。正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。
 父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」


 ※2006年夏の第88回全国高校野球選手権大会の決勝戦では、史上2校目の3連覇を狙う南北海道代表の駒大苫小牧と、第1回大会以来27回目の出場で初優勝を目指す西東京代表の早稲田実業が対戦した。
 試合は駒大苫小牧田中将大早実斉藤佑樹という両校エースの投手戦となり、延長15回まで戦って1対1のまま双方とも譲らず、大会規定によって再試合に決着が持ち込まれた。翌日の再試合も両投手が力投する熱戦となり、先行した早実駒大苫小牧の追い上げを振り切り、4対3の接戦をものにして初優勝を遂げた。