メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

教育基本法改正を巡る与野党の言葉遊び

 26日の読売新聞の社説に、「教育基本法改正」を巡る政府案と民主党案とを対比した論評が掲載された。この問題については政府自民党公明党を加え、それに民主党の改正案が錯綜して右だ左だとの論争が喧しい。争点は「愛国心」らしいのだが、それぞれの主張や解釈を比べて、どこが正しくてどこが変なのか一向に分からない。このところの日本語ブームのせいでもないだろうと思うが、何故か議員先生たちは言葉遊びがお好きなようだ。
 政府案では教育の目標を掲げた第2条を「伝統と文化を尊重し、それらを育んできたわが国と郷土を愛するとともに・・・態度を養う」と表現している。このうちの「・・・態度を養う」の部分について、当初自民党は「・・・心を養う」としていたのだが、公明党への配慮で「態度」に落ち着いたのだという。ここでまず疑問その1。態度と心ではどう違うのだろう? そもそも何らかの心があるから、その発露としての態度が表に出てくるのではないだろうか。心があるのに外に表さないのは、最近の無口な若者みたいで気持ち悪い。
 次に民主党案では、前文に「我々が目指す教育」として「日本を愛する心を涵養し・・・、伝統、文化、芸術を尊び・・・」としている。「国」ではなく「日本」とすることで、自民党が断念した「心」を堂々と盛り込んだ点が特徴なのだそうだ。小泉首相は、この民主党案を読んで、なかなか良くできていると感心したという。ここで疑問その2である。日本なら良くて国ではいけないらしいのだが、そもそも日本という国のことを言うのになぜそんなに表現で揉めるのだろうか。我々は日本という国に住む民族だから、日本人。こんな単純明快なことはないだろうに。共産党や教職員組合が絡むと、さらにややこしくなる。「愛国心の強制」とか「内心の自由の侵害」になるらしい。だから廃案という。社説では、この点について次のように述べている。自国の伝統や文化に関心を持ち、理解し、国を愛するという価値観を形成できるよう「指導」することは「強制」とは次元が違う。諸外国では当たり前に教えている愛国心についてきちんと子供たちに指導できない教員にこそ問題あり、としている。この点はまったくその通り。そもそも「愛国心」という言葉がいけない。かつての軍国主義につながる危険性をはらんでいる、との指摘もあるようだが、今のご時世で軍国主義復活を本気で信じる国民がいったい何人いるだろうか。軍国主義への危険性の面では、もちろん自衛隊のあり方やその背景となる憲法9条の問題は、憲法改正の是非と合わせて広く議論されなければならない問題である。しかし、子供たちに自分たちの国を愛して大事にしようと教えるのに、ちょっと乱暴になるが言葉尻はどうでもいいことではないか。言葉遊びといったが実は、政党間の揚げ足取り合戦のように思えてならない。なんとも滑稽なことだ。