メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

迷惑と子供の安全との狭間に見えるもの

 通勤時間帯の電車にベビーカーで乗り込んだ子連れの母親を見ての投書が、波紋を呼んでいるそうだ。発端は、2月24日付の読売新聞に載ったベビーカーの扱いに関するOLの投書。通勤途上、女児のベビーカーが乗客の間でもみくちゃになっている様子を見て、「子供の安全と周囲への迷惑を考えてベビーカーをたたんで子供を抱くべきだ」との趣旨の投稿を寄せたことに対して、賛否両論が巻き起こったという。3月19日付の同紙にこの論争の顛末が紹介されていたが、記事自体はどうも論旨とは若干違う方向に向かったようだ。賛成派の要旨は、通勤時間帯にベビーカーで電車に乗り込むのは迷惑行為であり避けるべし、であり、反対派は重いベビーカーを抱えた赤ちゃん連れで電車に乗るのは大変なことを理解してほしい、との論に集約できる。さらに言えば反対派は、だからこそ周囲の協力が必要となるのだろう。
 この後、記事の論調は国交省のコメントや鉄道各社の判断などを紹介し、さらに子育て研究所の杉山千佳代表の「ベビーカー使用に関しては交通機関でのバリアーが存在するし、原因は社会でのベビーカーの位置づけが曖昧なこと」との指摘を紹介している。しかし、件の投稿の主は、通勤時間帯=電車のラッシュ状態の中にベビーカーで乗り込んでくることに疑問を挺したものであり、記事の論調とは違う視点を持っていたのではないか。筆者も交通機関や駅の階段などでベビーカーを移動させる手伝いをしたことは何度となくある。ベビーカーを邪魔と感じたことはない。しかし、満員の通勤電車に乗り込んで来られたらたまらない。手伝おうとか周囲の人間として理解しようとか感じる前に、「危ないな〜」と感じてしまう。ベビーカーがもみくちゃにならないようにカバーしてあげたくてもできないのだ。これは物理的な問題だ。日本では、通勤電車=ラッシュなのである。
 つまり状況次第であって、普通の乗車状況でも何が何でも邪魔だと思う人もいないだろうし、満員電車の中でも温かく見守ってあげましょうと考える悠長な人もいないだろう。であれば、ベビーカーを使用する母親は、電車の混み具合を予想すべきだろう。要はバランス感覚と一般的な常識判断の問題だ。ラッシュの電車にわざわざ危険を承知でベビーカーで乗り込むことの是非と、交通機関や駅でのバリアーフリーの度合いを文化的な視点から論じるのは問題の本質が違う。