メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

動物愛護者は、フィールドワークをしているのか?

「机上の空論」という言い方に対する対極のイメージは「フィールドワーク」であろうか。実体験に基づいた論理の展開には臨場感と説得力を感じるのだが、体験もしないでの理想論は時に空しいし、体験を持っている人間からすると腹立たしい思いに駆られることもある。
 14日のTBSテレビ「きょう発プラス!」で落雷を巡る最高裁の判決とあわせて、もう一つ注目すべき話題が取り上げられていた。滋賀県大津市で野生のニホンザルが住宅地に多数侵攻して、住居にまで侵入される地元民とサルとの間で熾烈な戦いが繰り広げられているという。幸い深刻な人的被害はまだ発生していないが、農作物などへの被害は相当規模にのぼり、人間を怖がるどころか牙を剥いて反抗するサルに、いつかは人的被害も出るのでは、と地元では戦々恐々としているようだ。サルたちの傍若無人ぶりに、エアガンやパチンコまで動員して追い払いに労力を割いてきた大津市では、このほど中心となる50頭の群れに対して30%にあたる13頭の駆除を決定した。ところがこの決定に対して、サルの保護を主張する動物愛護者と地元住民との間で激しい論争が展開されている。

住民の大勢は、駆除に賛成であり、保護者たちは殺すなと譲らない。市では両者を集めて説明会を実施したのだが、両者の言い分はまったくの平行線で激しい論争となった。この模様を映像で伝えたのが14日の放送だ。とにかく、保護者側の言い分は「サルがかわいそう」のほぼ一点張り。対して地元住民側は、どうも感情的になっている嫌いもあったが、やはり実体験として日々苦労しているのが伝わってきた。地元の男性が保護者側の若い男性に向かって「では、あんたは牛や豚は食べるだろう。食べるためには殺すではないか。」と言葉をぶつける。対してサル保護の若い男は「牛や豚を食べますよ。しかしサルは食べません」と切り返した。つまり彼の言い分を分析すると、牛や豚はもともと人間に食べられるために飼育されているので、可哀想と思う対象ではない。サルは人間の餌付けで人里に下りてきたし、開発によって住処を追われたと言う背景もあるから可哀想だ、と言うことになるらしい。どうも今回のサル騒動に限らず、動物愛護主義者たちの発想は、すべからくこのやり取りに象徴されるのではないだろうか。つまり実際に現場に暮らし、苦労や時に恐怖を体感してその上でさらに動物保護のためには自らあるいは自らの家族を犠牲にしてもいとわない、と自信を持って言えるのだろうか。サルは見かけ以上に怖い動物だ。牙を剥いて人間に襲い掛かることがあるし、そうなればひどい怪我の可能性も高い。子供など死の危険すらある。それでも彼らは、サルに囲まれた恐怖の体験を乗り越えて、なおサルを守れと言うのだろうか。