メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

重たい一円玉

朝のラッシュが過ぎた地下鉄の床に、一円玉がひとつ転がっていた。ドアにほど近く、すぐ目に付くはずのに、誰一人拾おうとしない。見過ごせずに摘み上げた。
小学一、二年生だったか、一円札が消えて間もない頃、道端でピカピカの一円玉を拾ったことがある。「いけないこと」と知りつつ、握りしめたまま近くの駄菓子屋に走った。紙に包んだキャラメルを二粒買った。当時も一円で買えるものはその程度だった。キャラメルは一緒にいた友達と一粒ずつ食べた。
別にキャラメルが食べたかったわけではない。その友達には時々、紙芝居や駄菓子屋で真っ赤なアンズをくるんだ水飴や、ソースを塗ったふわふわの煎餅やらをおごってもらっていたので、子ども心にも肩身が狭く、「お返し」がしたかったのである。
手持ちの金がなかったわけではないのだが、私は買い食いを禁じられていた。「おやつはちゃんと用意してある」というのが母の言い分で、家の外で何かを食べるのも行儀が悪いからと許されず、ましてや紙芝居や駄菓子屋の食べ物は不潔だと嫌っていた。
そうは言われても、子供である。駄菓子屋で心行くまで買い食いしてみたかったし、毒々しい色をしてガラス管に詰められた得体の知れぬ菓子も一度は試してみたいと思っていた。だが、小遣いは月々与えられていても、収支を小遣い帳に記す約束だったので駄菓子代を捻出することはできなかったのである。今思えば、母は小遣い帳を点検するわけではなかったし、その気になればいくらでも母をごまかせたはずなのだが、当時は我ながら純情だった。そのくせ一円玉を見つけたときから、内心で小躍りしていたのだから、母のしつけも実は尻抜けだった。
もっとも一円玉の一件はすぐにバレた。と言うより、愚かしいことに少々得意げになって自分から打ち明けたのではなかったか。母は烈火のごとく怒った。「他人様のお金に手を出すような子は家に置けぬ」と、私を外に引きずり出した。いつもは取りなしてくれる祖母も「情けない」と嘆くばかりで、いっこうに庇ってくれない。結局、暗くなっても家に入れてもらえず、裏庭で泣いているのを見た隣家の小母さんが母を説得してくれ、ようやく収まったのだった。

地下鉄で一円玉を見つけた時、そんな昔のことを思い出しながら、つい拾い上げてしまった。直後にしまった、と気づいたが遅かった。まず周囲の視線が気になった。大の男がしゃがみ込んで浅ましく映りはしないか、ましてや着服するつもりと勘繰られては業腹だ……。では、拾得物として交番か駅の事務所に届け出るべきなのか。果たして警察官や駅員はどんな顔をするだろう。迷惑がるかもしれないし、下手をすれば、気の利かぬ変な奴だと思われてしまう。
あれこれ悩んだ末に、気がついた。そうだ、地下鉄に乗り合わせていた人々は一円玉を軽くみて、拾わなかったのではない。むしろ一円玉の微妙な重みを承知しているからこそ、敢えて関わるまいと見てみぬ振りをしたに違いない。私はそこまで考えが至らず、半世紀も前の轍を踏んでしまったことになる。
拾った一円玉は結局、会社の机の引き出しに放り込んだままだ。厳密に言えば、ネコババ、占有離脱物横領という罪を犯したわけで、目にするたびに気持ちが悪い。昔の母の剣幕まで思い出す。たかが一円と軽んじればよかったものを、間尺に合わぬ話である。

<データ・戦後貨幣発行小史>
◇紙幣(カッコ内は表面の図柄)
▼1946(昭和21)02月25日
  1百円(聖徳太子
▼1946(昭和21)02月25日
  10円(国会議事堂)
▼1946(昭和21)03月05日
   5円(彩紋)
▼1946(昭和21)03月19日
   1円(二宮尊徳
▼1950(昭和25)01月07日
  1千円(聖徳太子
▼1951(昭和26)04月02日
  5百円(岩倉具視
▼1951(昭和26)12月01日
  50円(高橋是清
▼1953(昭和28)12月01日
  1百円(板垣退助
▼1957(昭和32)10月01日
  5千円(聖徳太子
▼1958(昭和33)12月01日
  1万円(聖徳太子
▼1963(昭和38)11月01日
  1千円(伊藤博文
1984(昭和59)11月01日
  1万円(福沢諭吉
  5千円(新渡戸稲造
  1千円(夏目漱石)  
▽2000(平成12)07月19日
  2千円(朱礼門)
▽2004(平成16)11月01日
  1万円(福沢諭吉
  5千円(樋口一葉
  1千円(野口英世

◇硬貨
▼1948(昭和23) 5円(黄銅)※穴なし
▼1949(昭和24) 5円(黄銅)※穴あり
▼1953(昭和28)10円(青銅)
▼1955(昭和30)50円(ニッケル)※穴なし
▽1955(昭和30) 1円(アルミニウム)
▼1957(昭和32)100円(銀貨)
▼1959(昭和34)100円(銀貨)
▼1959(昭和34)50円(ニッケル)※穴あり
▽1959(昭和34) 5円(黄銅)
▽1959(昭和34)10円(青銅)
▽1967(昭和42)100円(白銅)
▽1967(昭和42)50円(白銅)
▼1982(昭和57)500円(白銅)
▽1999(平成11)500円(黄銅・ニッケル)
 (注)▼は使用はできるが発行は停止、
    ▽は現在発行されている貨幣