メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

相変わらず不透明な安全意識

 27日付の朝日新聞関西電力の藤洋作社長が辞任を表明した件に関して、「これで安全が守れるか」と題した社説が掲載された。きっかけとなったは、昨年8月に美浜原発で発生した11人が死傷した事故なのだが、辞任発表の記者会見では、調査の結果不適切な対応があり、そのことに対してけじめをつける、と発表したにとどまった。しかし具体的に何をどうするのか、について語られることはなかった。日ごろから安全性について物議をかもしている原発を舞台にした大きな不祥事を起こし、経営トップが責任を取るのなら、経営陣を刷新するくらいの覚悟を見せなければならない。しかし人事の内容は、会長の秋山喜久氏は留任、社長の藤氏も取締役として残る、というもの。社説でも“中途半端”と指摘している。人事がこんな具合だから、再発防止の施策についても具体的なことは何も語られていない。政府の事故調査委員会からは、具体性がないとして書き直しを命じられる始末だ。しかしその結果、25日に追加提出された計画では、藤社長が「安全を守る。それは私の使命、わが社の使命。」と高らかにうたっている。要するに責任とって辞任するのではなく、社長は辞めるが責任取るために会社には残りますよ、と言っているのだ。果たしてどの程度具体的な内容を盛り込んでいるのか不明だ。
 一番の問題は、単純な事故ではなかった点にある。配管が裂け、そこから高温の蒸気が噴出して事故は起こった。原因は、破裂箇所が点検リストから漏れていたために、原発ができてから一度も検査されなかったことだという。問題はまだある。検査の結果、配管の肉厚が基準値を下回っていたにもかかわらず、「当面は大丈夫。次の検査でOK」と、見送りになったケースがなんと78件もあったのだ。原因は何か。配管に欠陥があればすぐに交換工事を実施しなければならない。そしてそのためには操業を停めなければならないからだ。つまり安全を何にもまして優先すべき、原発というきわめて特殊な事業環境を持ちながら、利益を優先してしまったのである。社説でも指摘しているように、リストから漏れたのはミスであるが、その後の判断は重大な人災につながりかねない、故意によるいわば確信犯的行為だ。現場では、もしかしたらこの危険性に気がついていたかもしれない。しかし企業の常で、儲からない、そして起こらないかもしれない危険を想定しての安全対策は先送りにされる。臆病だから安全に人一倍注意するのではなく、かえって事なかれ主義にはまることで、余計な摩擦や軋轢を避けて見た目の安寧のぬるま湯に浸りたがるこの国の体質なのかもしれない。