メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

マスコミの権力志向

 マスメディアが、「報道」という行為を通じて情報をコントロールすることで、社会に対する権力機構として働くことは周知の事実。特にTVは、映像と言葉を武器に情報の受け手に対してより強いインパクトで迫ることができる。新聞は、写真というビジュアル手段はあるものの、それは補助的な役割を担うに過ぎず、圧倒的に文字によって迫る。そのため情報の受け手は、読むという能動的な作業を経ることによって、あくまで自分自身の感性と知識で情報に一定の距離を置き、比較的冷静に受け止めることができる。逆にTVはもっとダイレクトに受け手に迫る。その結果、ややもすると押し付けがましさが目に付くことが多い。さらにTVの問題は、「演出」という名目のやらせが、日常的な点だ。娯楽番組はもとより、客観的であるはずの報道やドキュメントでもこの演出が不可欠といっていい。国営放送であり、もっとも真面目だ(?)との評価を得ているはずのNHKでもそれは変わらない。こうした基本的な体質の所以であろうか、TVメディアには自身を権力者だから何でも思うとおりにコントロールしよう、あるいは絶対に正義だとの思惑が露呈する。

 最近の事件から拾ってみても、NHKについては少し前のエビジョンイルこと海老沢前会長の国会証人の中継回避が受信料不払いという国民的反発を招いてしまった。そして今度は、NHK の番組改編事件を巡る朝日新聞との確執に端を発するラグビー中継でのゼッケン外し事件である。他には、株式取得によりフジサンケイグループへの経営参画を狙うライブドアへの対抗策として、フジTVはライブドア堀江社長が出演しているクイズ番組「平成教育予備校」を急遽お休みにしてしまった。しかもその理由について「別にライブドアへの意趣返しなどではない。後続番組の視聴率テコ入れを図るために急遽時間帯を変更することになっただけ」とフジTVの日枝社長が述べているが、そんなことを間に受ける視聴者がいると本気で思っているのだろうか。むしろライブドアとの一件は、企業経営を巡るいわば会社同士の戦争だから、敵方の代表である堀江氏の出演する番組は不具合だと判断したと、本音で声明を発表したほうがよほどすっきりしたろうに。それを私怨ではない、などと正義面をするから話がややこしくなるのだ。かえってTV局の持つ傲慢さがいっそう目立ってしまったのではないか。

 NHKの最新のお騒がせが、ラグビー日本選手権の準々決勝、トヨタ自動車vs早稲田大学との戦いだ。審判員のジャージーのスポンサー広告を朝日新聞が使っており、これに対して当初生中継をやめて代わりに広告映像をアップにしないなど編集作業が反映しやすい録画中継に変更すると発表した。学生チャンピオンの早稲田が社会時強豪のトヨタに挑戦するこの試合はファン注目の試合だったのだが、当日朝の新聞記事やテレビ欄で知った視聴者からは抗議の電話が殺到したという。その影響で試合開始の3時間前に生中継に戻すことを決定。この事件は、ファンも多いラグビーの重要なゲームに関することだけに、スポーツ紙でも何紙かが1面で扱っていた。いずれも「ドタバタ」との表現で、気に入らない相手には強引な中継変更をするくせに、視聴者から抗議が寄せられると今度は一転、直前になって生中継に戻すというなんとも節操のない動きを見せた。これは誰が見ても、ここ一連の朝日新聞の番組改編に関する報道への対抗策だろうとことは想像に難くない。この騒ぎの理由として、NHKラグビー協会では「会場に広告を掲出する企業を募る場合は事前にNHKの意向を尊重する」と述べており、NHKはまた「放送局の性格上、特定の企業名を露出することは控えなければならない」とも述べているが、スポーツ中継の場合は正式なスポンサーであれば、映像面での露出にはこだわらないだろうというのが、一般的な受け止め方になっていると思う。

 今回の事例では、NHKもフジTVも自分の都合で番組編成を変えておきながら、その理由として自己都合ではなくあくまで公器としての倫理観を強調している。それがもっとも大切な視聴者には受け入れられていないことを本当に理解しているのだろうか。
 スポーツニッポンでは、このへんを次のように書いている。「昨年夏の一連の不祥事発覚後も会長職にとどまった海老沢勝二氏をひきずり降ろしたのは、受信料不払いという視聴者の声。今回の中継騒動も結局、視聴者からの批判を受けて二転三転。再度、視聴者の意向を読み違える過ちを犯したといえる」この点を今後、TVメディアの経営陣と制作者は肝に銘じてもらいたいものだ。