メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

読めない年賀状

 便利な品々を創出してくれた発明家たちには感謝するばかりだが、二人だけ恨めしく思わずにはいられない人がいる。
 一人は事件記者の夜回りを考え出した人。誰かははっきりしていて、佐々木武惟という毎日新聞社会部の伝説的な事件記者だ。本題でないので詳述はしないが、この人のおかげで大切な時間をどれだけ不毛な夜回り取材に費やさねばならなかったことか。現場取材を離れた今になってみれば、夜回りほど優れた取材法はないと思うし、楽しかった思い出がないわけでもないが、佐々木さんが歴代の事件記者に恨まれてきたことは間違いない。
 もう一人は誰だか知らないが、年賀状を流行させた人だ。年賀状は日本古来の伝統ではない。明治半ば、欧米のクリスマスカードにヒントを得て、遠方に住む知己への年始の挨拶を郵便で済ませた人がいたらしい。まったく余計なことをしてくれたものだが、たちまち日本中に広まったのだから、それだけグッドアイディアだったのだろう。

 本来は出向くべきを略儀というか、横着して省力化したところがミソだったのに、百年が経つうちに社交儀礼として定着してしまったのだから腹が立つ。省力どころか、大晦日の深夜まで死に物狂いで宛名書きに追われる始末だ。除夜の鐘を聞きながら最寄りの郵便局に走るのが、年中行事となってしまった。
 最近は印刷し、宛名もパソコンで刷り、一言添えるだけにしているが、楽になった分、枚数が増えたから労力は変わらない。所詮は忙しい人には不向きだと思うのだが、一枚一枚丁寧に芸術作品のような年賀状を出す人も少なくないから、手抜きの賀状は顰蹙を買ったりもする。だからといって、どうにもならないのだが、考えれば考えるほど不愉快になる。私にとっては「怨念賀状」だ。
 勝手なもので、年賀状をもらうのはうれしい。束が届くと、まずは差出人だけを見て、書き落としていた相手がいたら直ぐに書き増す。それから一枚ずつ時間を掛けて読む。といっても、大多数は仕事関係だから面白くも何ともない。ただ頂くばかりでは失礼になるのでチェックするだけだ。楽しみは平素は疎遠にしていても気掛かりな人からの賀状だ。添え書きから向こうも自分のことを思っていてくれたと察して胸が熱くなったり、「昨年、ガンで手術しました」とあって慌てて電話に飛びついたりもする。

 小学5、6年から少しずつ年賀状を出してきたような気がするが、中学、高校時代は真剣になって書いたはがきが何枚かあった。もちろん相手は女子生徒だ。ラブレターを書くほどの勇気はないから、年賀状にことよせて探りを入れたり、淡い思いをほのめかしたりする。返事が来ないことはなかったが、こちらの気持ちを知ってか知らずか、そっけないものばかりで大抵は骨折り損に終わった。
 ただ一枚、色鉛筆を使った干支の絵に「おモチを食べすぎないでネ」と書き添えてあった賀状は、宝物にした。行間から、いや何行も書いてあったはずもないが、彼女が好意を寄せてくれていると読み取ったからだ。大いなる誤解かもしれないが、あの一枚があったお陰で以来40有余年、大量の宛名書きを続けてこれたような気がする。
 年賀状の本質は、宝探しゲームである。