メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

なぜ「曖昧表現」なんだろう?

 昨日のTVニューで、女子中学生が援助交際を仲介した友達に対し、自分たちを利用して一人儲けているのが気に食わぬと、仲間と計らってリンチするという事件を報じていた。今やこの種の事件が珍しくもなくなった東京ではあるが、事件の内容というよりむしろアナウンサーが読む原稿の中で「援助交際」という言葉にふと以前から気にしていたことを思い出した。なぜ「援助交際(または「援交」)なのだろう? いったいいつ頃からこの妙な表現を使い始めたのだろう。同様に気になる言い回しに「拉致」がある。日本人の特質である曖昧な表現や婉曲な言い回し文化が、本来言葉の輪郭を明確にすべきマスメディアで頻繁に現れることにより、しっかりと目を向けるべき重大な現実であっても妙な軽さで受け止めてしまう風潮が根付いてしまった。
 「援交=援助交際」は「売春」だし、「拉致」は「誘拐」なのだ。それが妙な柔らかさを与えられたことで、人々の意識まで軽くしてしまった。若い女子学生たちの中で「援交」はちょっとした小遣い稼ぎの一つになってしまったし、「ラチル」などとこれまた変に軽い表現が蔓延している。実際、援交で補導される女の子たちの中には、「なぜ自分たちが捕まらなければいけないのか?」と本気で抗議する子どもたちもあるという。さらには、北朝鮮による拉致事件だ。これも、誘拐という世界中のどの国でも最も重い犯罪を国家が主導で実施した、歴史上稀有な事件である。偉大だといわれているかの国の指導者を被告にして国際司法裁判所に告訴してもいいくらいなものだ。
 現実はどうだ。相変わらずのらりくらりとして、情報開示をするつもりがないのか、するにしても何かしら有利な条件を引き出すための切り札にするつもりなのか、腹の底が見えない。それはそうだろう、被害者であるはずの国のマスメディアがこぞってソフトイメージの演出に腐心し、交渉を有利にしてくれる手伝いをしてくれるのだから。
 本当に、日本から子どもの犯罪をなくし、世界有数のテロ国家から謝罪を引き出すためには、この国のマスメディアはそろそろ正確で直截な表現を使うべきではないのか。