メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

新潟中越地震に見る天皇ご夫婦の慰問報道

 先日、天皇皇后ご夫妻が新潟中越地震の被災地を慰問され、TV各局、新聞などで報道された。特にTV報道や新聞のグラフでは、慰問を受けた地元の人々の表情が活写されて興味深い。どの顔も通常の報道では見られないほどにこやかな笑顔に溢れ、意外なほどだった。先の小泉首相田中真紀子さんの訪問の際に比べると、明らかに違う表情を見せている。コメントもまるでお気に入りの人気タレントの訪問に対するようだ。特に高齢者のそれは、心の底から喜んでおり「こんな暖かいお声を掛けていただいて、私たちももっともっと頑張らなければ」といったものばかり。もちろんTVだから編集や演出はあるのだろうが、その辺を差し引いてもご夫妻の心理的効果は大きい。この点、小泉さんも真紀子さんも敵わないだろう。

 この数年、皇室の在り方についてはさまざまな意見が論じられており、極論すれば日本の心理的な象徴であり尊敬の対象として必要だ、との意見と、なんら実体や機能がないので不必要、との意見に分けられるのでないか。しかし、今回の報道を見るとそれ以外に感じられるのが、一昔前と比べて大衆の皇室を見る目線が大きく変わってきた点だろう。 

 例えば、ご夫妻が被災者のグループに向かって話しかけ、あるいは高齢者に向かって手で触れるといった場面でのこと。その周囲にいる人たちの反応が違う。よく言えば親しそうに、悪く言えば馴れ馴れしそうに、なのだ。以前にはどんな場面でも、皇室特に天皇ご夫妻に対しては「畏れ」「敬い」「感謝」と言った言葉で表現される接し方がほとんどだった。対して先日の訪問では、カメラや携帯のレンズを向ける光景が目に付いた。明らかに昔と比べて心理的な塀が低くなっている。
 おそらくそういう人民の変化をもっとも敏感に察知しているのが、当のご本人たちなのではないだろうか。振る舞いの様子も変わってきている。あえて目線を下げて接する風景が増えているような気がする。それに先の園遊会での国旗掲揚、国歌斉唱についてのご発言からも感じられるように、「開かれた皇室」というこれまでの表現に加えて「積極的な意思を持つ皇室」とのイメージ戦略なのかもしれない。先の雅子妃についての皇太子発言も重ねてみると、納得できる。企業の販促部門担当者にとっては、こうしたブランドイメージ・コントロールのノウハウは意外に皇室から学ぶ点があるように思える。