メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

親の気持ちを汲んであげたい

 少し前に何かと物議をかもした「人名漢字」に関する法制審議会の答申だが、どうも行政に携わる人たちには、社会一般の素朴な常識が欠落しているらしい。これは先にマスコミでも散々報道された新しい人名漢字の一覧を見れば明らか。「膿、骸、糞、屍、娼、尻、鼠」などを愛する子どもの名前に考える親がいると本気で思っているのだろうか。多分何も考えていないだろう。頭の中にあるのは、単なる統計データとしての漢字の使用頻度だけ。そもそも漢字とは中国から伝わったものではあるが、日本に入ってからは万葉仮名しかり国字しかり、日本独特の文化として発展したものだ。全ての漢字にはそれぞれの意味や生い立ちがあり、そこには使う人の思いが込められている。その筆頭が人名漢字だ。行政の場で生きる人たちはもっと真の教養を身につけて欲しい。少なくとも日本を代表するに相応しいインテリジェンスと自覚を持って欲しい。

 さて一連の人名漢字話題の中で何度か報ぜられた、埼玉県の会社員夫婦が長女の名前に「掬水/きくみ」と名づけた件。当初役所に届けたところ、この「掬」という字が人名漢字に入っていないとの理由から認められず、やむなく「きく水」として届けたという。しかし、さいたま家裁が許可したことで、両親は近く市役所に改名届けを提出するという。出生から十ヶ月ぶりに希望が叶ったわけで、ご両人にはおめでとうを贈ろう。
 ところが実際は、「掬」の字は今年6月公表の人名用漢字には入っていない。ではなぜ今になって使用可能になったのか? ご両人の訴えや国民の声に押されて、法制審議会の部会が一転、使用を許可し、それを受けた今回の家裁の決定だという。なんとも情けない仕業だ。
 人名漢字に入っていないから使えない、と言うのは法律や条令とは違うが、一定の拘束力を持つお上の決まりだろう。ならばあくまで決まりを盾に受け付けられませんというのが、頑迷かもしれないがそれなりに筋は通るのではないか。決まりに例外を認めて使用OKというなら、十ヶ月もかけないでさっさと認めてあげればよかった。結局どちらでもない。規則遵守の頑なさも、子どもへの思いを込める親心を汲み取る柔軟さも持ち合わせず、そこにあるのはただ状況次第でどっちに動くか自分で決められない主体性のなさばかり。ああ情けない!