メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

あ、子どもが生きている!

 連日の地震報道で新聞もTVも溢れているが、今日は崩れ落ちた岩石の下敷きになっていた母子3人の救出の様子をTVの前で見つめ続けた人が多かったのではないか。途中で3人生存の可能性が報じられると、なおさらのこと祈るような気持ちが高まった。そんな中で2歳の男の子、優太ちゃんが救い出されると現場のレスキュー隊員たちの間からも拍手が起こった。事故発生から4日以上72時間を経過して、しかもあの状況の中で「まさか?」との思いと「よかった!」との思いが交錯した瞬間だった。あの場面は、まさに映像でなければ伝えられない感動的な臨場感だろう。TV報道の独壇場といってもいい。作業の途中で再び大きな余震がレスキュー隊員たちを見舞う。中断される作業。現場に漂う緊張。それがリアルタイムで伝わってくる。しかし感動からわずか数時間あとには、残酷な事実が突きつけれる。母親の皆川貴子さんが救出されたものの、ほどなく死亡が確認された。

 この現場では、安全確保の観点からだろうカメラは現場近くには入れず、川の対岸から数百m離れての中継を余儀なくされていた。報道記者も離れた場所からの印象や情報を伝えることしかできなかった。結果的に、各社ともほぼ同じ映像でコメントもそのつどの事実を述べるにとどまっていた。この淡々とした感じが、かえって視聴者に固唾を呑んで見つめる状況に駆り立てたようだ。TV報道ではさまざまなスタイルがあるが、今回のようにある程度カメラを固定して、現場で起こる現象や映像を時系列で単純に届け、余計なコメントや演出は入れないほうがいい。

 逆のシーンが、新幹線の復旧現場で見られた。ここでは復旧現場とは逆にカメラが作業員たちの間近で回っていた。そこで余震が襲う。画面で見ていても揺れがはっきりと分かるほどに大きな余震だ。作業員たちが大慌てで車両から離れる。中には避難するのにこけてしまう人もいた。それらの表情をカメラは大写しで追う。こんなことを言っては失礼になってしまうが、滑稽にすら感じられてしまう。追い討ちをかけるように、取材記者のコメントだ。「大丈夫ですか!? 大丈夫ですか?」の一点張り。まあ記者も動揺していたのかもしれないが。それにしてもこうした場面でいつも感じるのは、とっさの質問の訓練ができていないということ。現場の責任者をつかまえて、「こうした大きな余震に襲われたらどういう対処をするように言われているのか?」「今後、揺れに対して車両が倒れないように何か手は打たないのか?」「余震が続くが、その上で作業せざるを得ない高架の強度はどのように把握しているのか?」などTVを見ているとふっと感じることはいろいろありそうな気がするのだが・・・