メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

足りないのは物資ではなく「情報」

 新潟中越地震から1週間。この間、被災地のさまざまな状況や救出劇などが報じられた。ようやく仮設住宅の計画も具体化の方向が見えてきたという。一方では貴重な支援物資が新潟や長岡などの大都市に滞留して、山間部の過疎地まで行き渡らないとの問題もある。原因は道路が各地で寸断されて、輸送路の確保ができないこともあるが、どこで何を必要としているか、どんな支援を欲しているかなどの情報がきちんと伝わっていないことが挙げられる。

 「情報の孤立」と表現するのは、30日(土)のTBS「ブロードキャスター」にも出演した防災システム研究所の山村所長だ。同番組のレギュラー、作家の荒俣宏氏も同様に情報不足がいかに人心を不安にさせるか語っている。氏はあの地震の日に初日だった東京国際映画祭に出向き、会場の森ビルで地震に遭遇したという。エレベータが停まってしばらく何の説明もなかったそうだ。そのことで非常に不安になったし、腹も立ったらしい。知らされないことが、本来の災害にとどまらず不安を加速させるのだと語る。
 11月4日号の週刊文春でも、この情報不足によるパニックについて報じている。同誌によれば、避難所となった小千谷市内の中学校では「今日は食料の配給がない」との噂が飛び交ったことがあるという。「それで皆近くの体育館に殺到した。ところが実際にはちゃんと配給された。デマだったのだ。」との談話を紹介している。こうした情報の不足や混乱は、携帯電話が通じなかったことが一因となっている。地震直後に安否確認の電話が新潟県内に殺到して、輻輳つまりつながりにくい状態が発生した。そこでNTTドコモ新潟県内への通話を最大75%規制した。そのため東京でも通話に支障が生じたという。

 10年前の阪神大震災では、携帯電話がさまざまな情報伝達や安否確認に活躍した。しかし普及台数は、当時とは比べものにならない。NTTドコモに限れば、95年当時で200万台だったが、現在は4600万台。実に23倍だ。基地局の停電のために、小千谷市内などの一部では地震から2日たっても使用できない状態が続いた。NTTドコモの広報部では、移動電源車を配備して災害などに対応するが、今回のように道路が寸断されると基地局までたどり着けないことがあるという。もちろん基地局には非常用バッテリーが備えてあるのだが、容量は2時間から最大でも数十時間分しかない。停電が長引けば、いやでも影響を受けてしまうわけだ。しかしこうした携帯電話を中心とする通信網の混乱の一方で、鮮やかな対応を見せた地方の通信サービス会社があった。

 10月27日付の日経のウェブニュースサイトIT Proが、新潟県をエリアとする東北電力系の通信事業者、東北インテリジェント通信(TOHKnet)の決断と行動を報じた。同社は、被災地に約300の企業や自治体をユーザーとして抱えている。被災地に該当する拠点は、長岡、柏崎、十日町、六日町の4局。いずれも東北電力のビルなどに設置してある。地震が発生した直後、それぞれの局で一斉に電力供給がストップし、東北電力の商用電源から予備バッテリーに切り替わった。しかし、バッテリーにはいつまでも頼ることはできない。同社新潟営業所の遠山八元所長は、各局への電源車の出動を即決した。地震発生からわずか1時間後には、新潟から各地への派遣準備ができていた。予備バッテリー持続時間は、最も短い長岡で8時間、最も長い六日町でも24時間。一方,新潟市から長岡市までの所用時間は約1時間だから、普段なら十分な時間がある。ところが搬送作業は難航した。幹線道路が一部通行止めになっており、迂回してもその道が封鎖されているということの繰り返しとなってしまったのだ。しかも山間部は暗闇で、道路の陥没も見えない危険な状態。そこで関係車両からの情報で被災地付近の道路状況を収集氏、地図に片っ端から記入し、各電源車にルートの指示を出していった。行政や警察ですら情報が収集できない状況の中で、自らの知恵と行動力で対策を講じてしまったのである。
 結局,電源車は午後11時から翌午前3時までに各局に無事到着した。これで予備バッテリーが切れるという最悪の事態は回避した。しかし問題は電源だけではなかった。各局の停電の報告とともに、小千谷市と小国町の間を結ぶ光ファイバの回線が消失してしまったのだ。ここでも又同社の知恵がフル回転する。小千谷-小国に代わるルートも23日午後11時には確保された。こうして次々に発生するトラブルに対処するため、TOHKnetは新潟営業所の職員を徹夜で待機させ、緊急の監視体制を敷いた。