メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

緊迫状況下のドラマ〜新聞の筆力〜

 相次ぐ台風の上陸、追い討ちを掛けるような新潟県下の地震など、このところ自然の猛威に翻弄される人間の無力さを思い知らされるような報道ばかりが目に付く。しかしその中で、滋賀県舞鶴市内の由良川沿いの国道175号線で発生した観光バスの水没事故の記事は、ドラマを感じさせるものだった。掲載されたのは10月21日付日本経済新聞の夕刊社会面。ぎりぎりの状況の中で助かることを信じ抜いた乗客37人の生還までを、他の列車転覆事故や練習船海王丸の防波堤低衝突事故などとあわせて8段で報じたものだ。この事故はTVでも繰り返し放映されており、そっくり水没した大型の観光バスの屋根の上に乗客たちが身を寄せ合っている様子を見て、「うわーすごい、大丈夫だろうか」といった視覚的な衝撃を感じた人も多かったろう。しかし、それ以上のドラマを感じることはなかった。私もその1人だ。それに比べて、この日経夕刊の記事は、久しぶりに記者の緊迫感と筆力に溢れ、視覚よりも活字のほうがドラマを感じさせてくれることを改めて感じさせるものであった。

 要点ではあるが、あえてそのまま転載させていただくことにする。これをお読みになる方は、音読してみたらいかがだろうか。現場の空気が感じられて、いっそうドラマチックに読めるはずだ。なお、見出しは割愛してあるので念のため。

 (以下転載)
「泥水の海からわずかに頭をのぞかせるバスの屋根。暗闇の中、乗客たちは肩を寄せ合い九時間を耐えた。全員無事の知らせに、家族は安どの表情を見せた。猛烈な風雨が過ぎ去った二十一日午前、各地で残酷な傷跡があらわになった。八十人を超えた死者・不明者。十個目の上陸台風は、過去十年で最悪の人的被害を記録した。

 「上を向いて歩こう」。腰まで洗う濁流の中、バスの屋根の上で三十七人は歌い、励まし合った。暗闇の一晩、九時間を耐えた人々が次々とヘリにつり上げられ、ボートに乗り移る。「もうあかん、と思ったこともあった。」寒さに震えながら、それでも皆ががんばった。一人の犠牲者も出なかった。
 (中略)
 バスの運転手は本社に「ゴムボートでの救出を要請してくれ」と連絡。乗客は車内のハンガーで窓ガラスを割り、順番に屋根に上がった。「命が第一」というお年寄りの声に皆が従い、お土産も荷物も車に残した。
 周囲の街灯も完全に消えた闇の中、二十一日未明にバスは完全に水没。午前二時ごろには立ってもへそのあたりまで濁った水が上がってきた。「この時はさすがに『もうあかん』と思った。でもみんながしっかりしていた」と乗客の女性。
 (中略)
 乗客の中には看護師の経験者の女性がいた。女性の指導で体温を下げないよう「結んで開いて」をしたり、肩を組んで「わっしょい、わっしょい」と叫んだ。「上を向いて歩こう」を歌い、体を寄せ合った。カーテンをつないでロープにし、流されないようしっかりと握り締めた。
 待ち続けた夜明け。重く垂れ込めた雲間からヘリが見えた。「あのヘリや」。歓声を上げる人もいたが、言葉も出ないほど衰弱した乗客も。
 海上自衛隊のレスキュー隊員がヘリから水に飛び込みバスにたどり着いた。
 (中略)
「一番弱っている人から助けたい」と促すと、何人もが1人の女性を指した。真っ青な顔をし、「大丈夫ですか」との問いにも答えられない。目だけはしっかりしていたという。