メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

嘆きの稲穂

稲刈りシーズンを前に、宮城県の穀倉地帯を歩いてきた。見渡す限り、黄金色に輝やく稲穂の波。渡ってくる風もかぐわしい。農耕民族のDNAが騒ぐせいか、収穫前の田んぼに立つと、なぜか、心が弾んで満ち足りた気分になる。豊作となればなおさらだ。
 駆け出し記者として秋田で勤務していた1976年、東北地方は冷害に見舞われた。勢い稲の作柄に関するニュースを取材しなければならなかったが、やれ減数分裂期だの、やれ水管理だの言われても、チンプンカンプンで分からない。すがるような思いで農業高校に飛び込み、穀物という教科の先生に稲作りのイロハを教えてもらったことがある。
 おかげで実り具合を見て、豊作か凶作か、といった程度の見当はつく。「実るほど頭を垂るる稲穂かな」とはよく言ったもので、冷害だと収穫時になっても稲は立っている。穂先に籾がいっぱいあるようでも中身がカラだったり、膨らみきっていない様子が素人眼にも分かる。田んぼの脇に電柱があると、その陰になる場所の稲の生長が明らかに他よりも劣っていて、太陽の恵みの偉大さに驚かされたりもする。

 思えば、稲作に運命を託し、作柄に一喜一憂してきたのが日本人の歴史だった。豊年は祭りにも力が入り、寒い夏は宮沢賢治よろしくおろおろ歩いたのだろう。
 思考や行動様式にも、稲作の影響があるらしい。横並びを好むのは田植えのせいだ、と指摘する専門家もいる。一家総出で田植えをした時代、人々は田んぼで横一列に並び、苗を植えた。他の人より早すぎても、遅くてもいけない。同じスピードで植える。それが横並びを好む国民性を育んだ、というわけだ。
 勤勉さや創意工夫に熱心な気質も、稲作文化の賜物だったのではないか。稲作ほど知恵と努力の差が現われるものもないからだ。苗床の作り方、田起こしや施肥の加減、田植え時機の選定、密植か疎植かの選択……で収穫に差が出る。田んぼの水温をこまめに管理しないとイモチ病なども発生するし、刈り入れが1日違っただけでも1俵、2俵の差が出る。米という字はお百姓さんが八十八もの手数を掛けて育てることを示す、といわれてきたのも、むべなるかな、である。

 米づくりには、日照時間などの自然条件を別にすれば、投資の程度が正直に投影される。だからこそ、農民は汗水流して働いたのに、“3ちゃん農業”という言葉が生まれた頃から放漫農法が横行し出した。冷害に強く、収穫量が多い品種ができたればこその芸当だったが、政府が逆ざや分をも負担して、稲作農家を保護してきた影響も大きい。
 片手間でも稲作ができる今、第二種専業農家の多くは稲作を金儲けの具としか考えず、手抜きの限りを尽くしている。消費者側もご飯を食べなくなっているから、米自体を軽視する風潮が社会全体にまん延している。
 日本人の生の根源が危うくなれば、モラルや規律が揺るぎ出し、勤勉さや真面目さが軽んじられるのも、当然の成り行きだろう。今こそ手間ひま掛けた米のうまさを噛みしめ、来し方を振り返るべきではないか。

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