メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

先生の質向上が少年問題解決の原点

 鳥取県知事が仕事をしない県職員に対して、退職勧告も含めた大胆な服務規程の運用を発表して物議をかもした。反対など騒いだのは主に職員組合など首を切られる側であり、一般的には好意的な受け止め方であったようだ。企業のリストラと違い、普通に仕事をしていれば身分は保証されるのだから、何も騒ぐことではないだろう。むしろ役に立たない公務員なら不要だ、といった感想が大勢を占めた。公務員の質を追及する考え方が浸透するのは歓迎すべき状況といえるだろう。そして質が問われるといえば、教師こそもっとも問われるべき存在である。
 11日付けの讀賣新聞社説によれば、指導能力に欠ける教員はお引取り願おうとの傾向が、公教育の場で強まっているという。教員の能力認定制度を設ける教育委員会は年々増加して、その結果「指導力不足」と指摘される教員数も増加の一途をたどっている。公立の小中高校で04年度に「指導力不足」と指摘された教員は、566人にのぼった。03年度から85人も増えて過去最高だという。不適格の内容は、教える内容に誤りが多い、教科の知識や技術が足りない、子供から質問を受けず対話もない、など多岐にわたる。認定されると研修を受けることになるが、04年度は学校に戻れたのは127人で、退職、免職などの形で教壇を去った者は112人。しかし、残りの300人ほどはどうなったのか。いまだに学校に残っているのだろうが、今後どのように処置されるのだろうか。あるいはそのままなのか?
 生徒は、親と同じで先生を選べない。貴重な学校生活で不適格な教員と付き合わされる子供はいい迷惑だ。特に気がかりなのは、認定者の50%が40歳代、34%が50歳代だということ。公立の教員は全国で84万2千人だから、ベテランといわれる教員が認定者の8割以上を占めることになる。これは困った問題だ。文科省では、高年齢の教員ほど現代っ子たちの変化についていけず、指導できなくなる傾向がある、としているが、これはそのまま現代の家庭における親子のコミュニケーションの欠落問題にリンクしている。さらには、近年注目される少年犯罪や引きこもり、不登校などの問題児の親が往々にして教職やそれに近い立場の高学歴者であることが多いとの事実にもつながってくるように思える。今や我々大人が、本気で子供たちや若者たちとコミュニケーションをとるようにしないと、どんどん自分の狭い世界にこもってしまう子供が増えてくるのではないだろうか。
 私事ではあるが、筆者には3人の子供がいる。上の二人の男の子はすでに社会人で自分たちの道を歩いているのだが、彼らの学生時代、よく友人たちが家に遊びに来た。始めの頃、彼らの多くが挨拶をしない、他人の家に入ってくるのに帽子を取らない、帰る際にこれも挨拶がない、などとにかくコミュニケーションというか礼儀を知らなすぎた。私はしつこいくらいに「挨拶しろ、帽子取れ!」と大きな声を出してきた。息子たちはよく「お前の親父おっかねえな。」と言われたらしい。しかし、何回目かで自然に彼らは声を出すようになった。帽子も取るようになった。そして今は、小学生の娘の友達が我が家に来ると挨拶することを義務付けられている。彼らと接していて思うのは、彼らの親は多分家庭の中で子供たちと朝「おはよう」、寝る前に「おやすみ」の挨拶をしていないのではないか、ということだ。