メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

アウサン・スーチー女子の還暦祝いに思う

 19日は、ビルマの民主運動、近代化の牽引役であるアウンサン・スーチー女史の60回目の誕生日だった。世界中でアムネスティや各国に散ったビルマの人々により、彼女の還暦を祝うイベントが繰り広げられた。日本でも日曜日ということもあり、御茶ノ水のYMCAアジアユースセンターで、在日ビルマ人や関係者、それに取材のマスコミ関係者を集めて行われた。以前からビルマの軍政府による圧制と戦うスーチー女史については、かすかな知識もありアジアの民主化、近代化とそこで果たすべき日本の役割という視点からも興味を持っていたので、私も参加した。

そこで見たものは、非常に熱いビルマの人々の思いと、スーチー女史への固い絆であった。還暦のお祝いといっても、そこは個人的なお祝いではなく、軟禁状態の女史を解放しようとする反政府運動であり、民主政府の樹立を目指す政治運動としての側面が色濃い。もちろんこちらとしてもそのあたりで語られるさまざまな参加者の言葉なり、提供される情報が目的だ。むしろ誕生祝という名目での、ビルマ民主化運動を巡るプロパガンダに期待して参加したのである。プログラムの前半は、民俗芸能だったり寸劇だったりして、ちょっと拍子抜けの感もあった。主催者や関係者には失礼な言い方になってしまうかもしれないが、趣旨に照らしてみると何ともぬるいのだ。ところがそのぬるいいくつかのパフォーマンスに対して、参加者たちは大きな感動と共感の拍手を送っていた。中には瞼にハンカチを当てる人の姿も少なからずあって驚いた。これはビルマの人々の感性が、我々のそれとは比較にならないくらいナイーブであることの証左であるといえるだろう。実は、だからこそスーチー女史は、祖国にあって人々に「恐れを微笑みで包み込んではいけない」というような言い方をするのである。

今、日本は、アジア諸国との付き合い方を多くの場面で問われている。戦後の処理を巡って正式な謝罪をしていない、との非難があり、その一方で莫大な円借款ODAがいつまで続くのかと思わせる。日本政府はきちんとした対応をしていない、だらだらと金を注ぎ込んでそれで処理をしているつもりになっている、などと言われる。国民の側からしても、大事な税金を国の発展ではなく、アジア発展途上国のためにいったいいつまで提供すればいいのか、いい加減にしてほしいとの想いがある。いや、発展途上国の産業振興や民主化の役に立っているのなら、まだ納得もできるがODAのほとんどがその行く末を把握できていない。かねてから我が国政府には「金でかたをつける」的な発想がある。だから相手国に金を渡してしまえば、後はどうなろうと知らない、ということになる。ビルマにおいても同様だ。
金の受け取り相手は、民主化の推進力となっているNLD(国民民主連盟)ではない。あくまで現政権つまり軍事政府なのだ。世界的な関心事にもなっているビルマ民主化を表面的には支援し、アウンサン・スーチー女史の解放を人道的立場から唱えているわが日本政府は、実際には金の力で軍事政権をバックアップしているのだ。今回のお誕生お祝いイベントの取材を通じて、こうしたビルマと我が国政府との関わりの実態をマスコミ各社は何かしら取り上げるのかと期待していた。現に朝日新聞はじめ何社かのマスコミが取材に来ていたが、翌日20日付の紙面に載っていたのは、多くの人々が集まってお祝いをした、著名人からもメッセージが寄せられていたなどというきわめて表面的な出来事報道でしかなかった。

 ビルマ民主化の行方と我が国との関わりの実態を、今後どう見据えていくべきか。マスコミに多くが期待できないのなら、せめて市民の中から湧き起こる小さな声をつなげて、さらなる大きな関心へと展開してければと思う。そんな願いを込めて、今後何回かに分けて、ビルマ民主化の歴史、我が国との歴史的な関わりなどかいつまんで書いていこうと思う。