メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

6月のバラ

 夕暮れ時、東京・渋谷のビルの入り口で知り合いと待ち合わせ、すぐ横手の生花店を見るともなしに見ていると、女性客に混じって若い男がバラの花束を買っていた。ガールフレンドへのプレゼントにするのだろうか、花束を手にすると、晴やかな顔つきで人込みの中に去って行った。男が花を買うのに抵抗がない時代になった、としみじみ思う。
 女優の星野知子さんのエッセーで知ったのだが、フランスでは心に決めた女性に赤いバラを贈るのが伝統的な愛の告白法だそうだ。最初は1本、次に3本、6本、9本と3の倍数で増やしていき、5度目に12本の赤いバラを渡す時に愛を告げる。相手の女性が受け取ってくれたら、OKの意思表示。そこから恋人同士ので、交際が始まるのだという。
 女性にしてみれば、相手を憎からず思っていればオシャレで素敵なプレゼントと映り、本数が増えるたびに胸が高鳴るに違いない。9本目をもらった後は12本目を期待しつつ、受け取るべきかどうか悩むかもしれない。嫌な男からのバラなら気障としか思えないのではないか。突き返すか、それとも9本まではちゃっかりもらっておくか。男性にとってはスリルたっぷりのゲームでもある。次は拒まれるのではないか、と心配すれば、バラの美しさも目に入るまい。さすがは恋の国、フランスらしいロマンチックな伝統だ。

 仏事用はともかく男児たるもの花など買うものでない、と意固地を装っているが、一度だけバラの花束を買い求めたことがある。30年も前、死の床に就いた祖母に贈るためだった。医師に「いよいよ」と告げられた後、意気地のないことにいたたまれなくなり、病室から飛び出した。病院からも出て、たどり着いた先が生花店だった。それが奇しくも過日、若い男性が花束を買うのを目撃した店だった。経営者は代わっているかもしれないが、あの時と同じビルの同じ場所で花が売られている光景が感慨深く、店の様子がことさらに気になったのである。
 財布をはたいて数十本のバラを買い、病室に戻った。祖母は目をつむり苦しそうに喘いでいた。始末にしていた人だから「こんなにたくさん、もったいない」とでも言われるかと思いながら花束を近づけると、意識が混濁していたはずの祖母が突然、大きな目を開いた。そして、絞り出すような声を出した。「き、れ、い」。一瞬、苦痛に歪んでいた顔が和んだように思った。祖母の最期の言葉となった。
 私は祖母にとってはたった1人の孫。長く同居していた上、母親が仕事を持っていたせいか、大変な「おばあちゃん子」として育った。おやつはもちろん、弁当や夜食も母ではなく祖母が作ってくれた。私も祖母を喜ばせることに生きがいを感じていないわけではなかったが、社会に出て収入を得るようになってからも、これといった孝養を尽くしていたわけではなかった。
 祖母が最期に「きれい」と言ってくれたのは救いだったが、しまった、とも思った。バラの花束ぐらいで喜んでもらえるのなら、なぜ元気なうちから贈らなかったのか、せめて病室は花で埋めるべきでなかったか……。悔やんでも悔やんでも、不孝の孫だった。
 バラは風薫る5月にひときわ薫り高く、ひときわ優雅に咲き誇るという。祖母に贈った花束は、時宜を得ず、まるで「6月のバラ」のようだった。

<データ・花の文化史>
飛鳥時代
聖徳太子が花を生けた、との記録残る
平安時代
兵庫・宝塚で坂上右衛大尉門頼という武士が、花を営利目的で栽培 京都で白川女が山で採った花を売り歩いたとの記録
室町時代
花を生けることを商売とする阿弥(あみ)が登場
<江戸時代>
徳川2代将軍秀忠は「花癖あり」と呼ばれる園芸好きだった
<元禄年間>
日本初の園芸書「花壇綱目」が編纂される
享保年間>
鉢物栽培が流行し、植木鉢の需要が増加
<寛政年間>
仏花を売る花屋が誕生
<明治初期>
東京の江戸川、多摩川の土手で花の取引が行われる花問屋が誕生
<明治5年>
日本初の温室が東京・青山の開拓使の園内に完成
明治12年
東京の新宿御苑開園。明治25年には80坪の温室完成
明治38年
東京・芝に生花問屋業営業開始
大正12年
切花卸業の「花満園芸商会(株式会社花満の前身)」開業
東京・調布多摩川に温室村ができ、洋花の生産始める
大正13年
京都府立植物園開設
東京・日比谷に高級園芸市場が開設され、初セリ
<昭和2年>
神戸花市場設立
兵庫・宝塚動植物園、神奈川・小田急向ヶ丘遊園開設
<昭和5年>
関東生花販売組合連合会、生花市場組合、関東花卉生産組合連合会が相次いで結成される
昭和16年
花卉生産は非国民とされ、温室は光るからと取り壊しの憂き目に
昭和19年
大阪・梅田生花市場創業
<昭和20年>
東京・上野生花創業、以後生花市場も続々と誕生、隆盛に