メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

事実認識の基準は結局自分自身

 我々は社会で起こっていることのすべてを自分自身で直接検証することはできない。だからメディアからの情報を基にしてさまざまな感想や判断を下すことになるのだが、ある事象なり事実について、表現がまったく対照的な異なる論評をメディアが提示することは珍しくない。そんな時、誰もが抱くのは「いったいどちらが本当なんだ? 真実はどちらにあるのだろうか?」との感想。究極には自分をその現場に置いて、自身の目や耳で受け止め、判断するしかない。しかしそれができない以上、せめてメディアには細心の注意を払って最大の情報を集めて、一切の加工なしに提示してもらいたい。
 
 今年のサッカー界で最大の話題のひとつであるアジアカップ。サッカーファンならずとも関心を呼んだのは、開催地の中国における観戦、応援の状況だ。TVはじめ、主要メディアは中国の応援団が君が代斉唱の際に起立しなかったばかりか、一斉にブーイングする異常な光景を報じていた。これを受けて当時はどのメディアも、中国のジャパンバッシングの行き過ぎを論じ、しまいには政府が中国大使館に対して抗議するという事態にまで至った。たかがスポーツの結末としては異例のことだ。中国の観客を評して、文化レベルが低いのだとの言い方まで出てくる始末。日本国民のほとんどが、これをきっかけに中国への悪感情を内在させることになった。ところがこうした当時の状況を振り返って、「事実はそうではなかった。TVメディアを中心に、中国観衆の態度に関する印象をある方向へ誘導するような意図的な取材姿勢があった。」とのコメントが写真報道月刊誌の「DAYS Japan」に寄せられている。そして、これとは対照的なコメントが12月28日付読売新聞のスポーツ面に「フィーチャー2004/反日スタジアムの中で」と題するコラムで紹介されている。要点をまとめながら、この二つの記事を比較してみよう。

 まず、今回の中国報道にはある種の意図が背景に感じられると指摘するのは、アジアプレス・インターナショナル代表のジャーナリスト、野中章弘氏だ。「反日を誇張するメディア」と題するコラムでは、04年8月にアジアカップを巡る日本マスコミの反日報道の論調に違和感を覚えて、中国の反日感情の実際を検証すべく北京を訪問したと述べている。
日中決勝戦が行われた競技場へも出向いて現場検証をした結果、試合後に一部騒いでいる人もいたが全体としては身の危険を感じるようなことはなかった。また、中国に数万はいるはずの日本人留学生や駐在員からも、反日感情の高まりから危害にあったとの話は聞かれなかった、という。対して彼の友人のTV局特派員は「局からはとにかく反日的な言動を見せる中国人の画を送るように、と言われた。中国は平静ですよと言っても聞く耳を持たなかった、とも言う。結果的にTVや新聞では、連日感情的に高ぶる中国人の表情が報ぜられ、まるで中国全土で反日の嵐が吹き荒れているような印象を与えたが、これは現場にいた者の印象とは違う、と言う。

 次にと題した読売新聞のコラムだが、予想以上の激しさで驚いた、との感想を述べている。こちらも現地のスタジアムでの取材結果をふまえての記事だ。試合中のブーイングはまだ認められるとした上で、競技場では試合前の国家吹奏時に観衆が着席したままで、さらに口笛とブーイングも確かにあった、と書いている。さらに、一般客だけでなく同じ席にいる中国側の報道陣も君が代の最中にしたり顔で着席したと、述べている。コラムを担当した記者は、確かに3週間以上滞在して身の危険を感じることはなかったし、地元の人々に親切にされたこともある、と述べている。その上で、競技場での観衆のマナーに現れた反日感情の噴出を指摘している。また、重慶での対ヨルダンの準々決勝では、不思議とヨルダンの国旗が配られていて、記者席のすぐ後ろで父親と一緒にヨルダンの国旗を振っていた小さな女子がいたとも述べている。我々が受け止めている現地の実際はTVの中継画像が一番確かだろうと思うのだが、そこには確かに君が代の際に着席したままで口笛を鳴らし、ブーイングを発する大観衆の姿があった。サッカーに限らずスポーツの国際試合で、国家吹奏の際に起立しない、ましてや口笛やブーイングなどは前例がない。それを中国では、まともに目にしたのは確かだ。

 野中氏は記事中で、こうした今回の反日感情は日本のメディアの意図的な演出により、印象が増幅されたきらいがあるとした上で、それが育まれた背景にも触れている。確かに中国側の反日教育の賜物と断定する前に日本がいまだに先の戦争の責任処理を果たしていない点、旧日本軍の遺棄化学兵器事故、尖閣諸島問題など外交上の課題も未解決のままであることは間違いない。一方、読売新聞の記事は今回のサッカーシーンにおける一連の出来事は、背景は何であれスポーツの場で礼を失することは許されてはいけない、政治問題とは切り離して見るべきだと結論付けている。また05年2月の二次予選の第一戦となる、対北朝鮮戦(さいたまスタジアムで行われる)では拉致問題との絡みで今度は我々が北朝鮮に対してきちんとマナーをわきまえて応援すべきだとの方向に着地させている。
いずれにせよ、一つに事象に対してまったく正反対ともいえる論調が成り立つわけで、我々は背景にある真実が何であるのかをしっかり見つめる視線を持たなければならないことは確かだ。