メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

明るい雪 暗い雪

雪が降り始める前には、えもいわれぬ気配がある。どんよりとした空が一段と低く
なって、底冷えするような微妙な寒さを感じると、ひらひらと雪が舞って冬が来る。
不思議なことに厳冬期は、逆に冷え込みが緩んだと感じたところで雪が降る。
雪国で何年か暮らすうちに、そんな気配が分かるようになる。特に初雪が降る時の
気配には独特なものがある。「来るな」と感じた後で白いものが落ちてきたら、うれ
しくて得意になってしまう。逆に外れたり、気づかぬうちに降られるのは、ちょっと
悔しい。

  秋田では5年過ごしたが、初雪を5回見たことが自慢だ。と言ったところで何の得
にもならないし、当たり前とも映るだろうが、初雪は大抵は夜に降るから見るのは結
構難しい。朝起きたら銀世界になっていて驚いたり、融けてしまってから誰かに知ら
されて気づくパターンが一般的だ。
  新聞記者としては、初雪が降ったら朝の白い世界を写真に撮ってニュースにしなけ
ればならない。解けた後に知って写真を撮れないような事態を招いては恥ずかしいか
ら、初雪が降りそうな夜は徹夜をする。と言うのは口実で、そろそろと感じたら「警
戒だ」と称して夜通し麻雀や花札に興じて雪を待つわけだ。5年で5回の初雪を見た
ということは、要するに、しょっちゅう徹夜で遊んでいただけにすぎない。
  もっとも初雪を待ちわびることができるかどうかは、雪国で暮らす上での大きなポ
イントだ。雪を美しいと感じるか、苦難の元凶の見るか、にもつながる。駆け出しの
頃、先輩記者には「雪景色が美しい、と言うのは東京者の発想で、雪国の人に向かっ
て言うのは神経を逆なでするので愚かしい」と、何度も忠告された。
  最初は「なるほど」と思ったが、次第に疑問に思うようになった。雪国の人々は厄
介な雪を嫌う一方で、雪の美しさを好み、雪が降ることの幸せをかみしめているので
はないか、と。それが証拠に様々な遊びや小正月行事などで雪と親しんでいるし、雪
国出身者が作った詩歌でも美化されている。何よりも雪で閉ざされていた世界から解
放される春の喜びを知っている。それに、本当に雪が嫌なら逃げ出す人が多いだろう
に、逆に都会からUターンして行く人の方がはるかに多い。なぜか。

  なまじ雪が降るなら中途半端でなく、たっぷり降った方がいいのかもしれない。東
京あたりの降雪量では、交通を混乱させるだけで終わってしまう。都会人は雪国に住
む人を気の毒がったり、同情したりするが、本当に気の毒なのは雪の良さを知らない
都会人の方かもしれない。
  雪に限らず、明暗は見る者が規定するということか。

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