メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

体感治安の正体

 小学生の頃、母の帰りが遅くなると、最寄りの私鉄駅までよく迎えに行った。駅とは徒歩で5分ほどの距離で、近隣で犯罪が多発していたわけでもないが、夜道は物騒だ、と祖母から迎えに行くように言われたものだった。
 暗くなって間もないと、道々街灯のスイッチをひねり、ブリキの笠がついた白熱灯を点けながら駅に向かった。今から思えば、住宅密集地なのに表通りはともかく裏道は、すれ違う人の顔が分からぬほど暗かった。家々の窓からこぼれる灯りも頼りなかった。
 遅い時間帯にはバットを片手に家を出た。悪漢が現われたら立ち向かうつもりではいたが、実際には腕の自信も意気地もなく、用心棒の役に立つはずはなかった。それでも父親がいなかったせいか、母は僕が守るんだ、と心に決めていた。その心根はわがことながらいじらしかったし、母の目にも好ましく映っていたことだろう。祖母も役立たずを承知で、母と孫の双方を奮い立たせるつもりで迎えに出したのではなかったか。
 夜間は用心のため女子供には一人歩きはさせない、といった風潮もあったように思う。自宅を訪れた女性客は、駅まで見送るのが常だった。郊外の親類を訪ねると、帰りは叔父と叔母が懐中電灯を持ってバス停まで付き添ってくれるのも決まりだった。今では整備された住宅街だが、昭和30年代は田んぼが広がり、途中には小さな森も残っていて、薄気味はよくなかった。事件史をみれば、東京都内でも通り魔が頻発した時代ではあった。

 治安が悪化して刑法犯の検挙率が20%前後にまで低落した3、4年前、警察庁の幹部たちが「数字はともかく、体感治安はさほど悪くない」と言い出した。うまいことを言うものだな、と感心しながら思い出したのが、母を迎えに行った半世紀前のことだった。確かに体感治安という尺度で比べれば、昔より悪くはない。街路は明るく、夜間の女性の一人歩きに問題があるとも思えなかった。終戦後の混乱期を抜け出した後、治安は全般的に落ち着いていたということだろう。
 ところが、この3、4年の間に体感治安も悪化の一途をたどってしまった。農村で独居老人を狙う強盗殺人事件が相次ぎ、住宅街では自宅の向かいの民家に押し入る若者が現われた。ちょっと郊外に出れば、女性はおちおち一人で歩けない。最近、警察庁幹部は昨年は検挙率などの数字がわずかに好転したことを力説し、治安回復の兆しが見えたと言い出したが、今度は体感治安という言葉は口にしなくなった。

 官僚のご都合主義的な言い分を聞いても埒はあかないが、治安悪化は別に警察の責任というわけでもない。モラルの低下、24時間型社会の到来、人口の都市集中……といった様々な要因が、犯罪を生みやすい環境を作り上げている。そもそも犯罪5件のうち1件しか捕まらないとなれば、悪事に走る者が現われても不思議ではない。これまで地域社会の監視の目が陰に陽に光り、不心得者の歯止めとなっていたのが、地域の紐帯とかムラ社会が崩壊する中で機能不全に陥り、人々は旅の恥は掻き捨て状態で暮らしているわけだ。
 いつまでも性善説を信奉していると、治安の回復はおぼつかないかもしれぬ。治安が警察力で保たれていたとの神話を信じてもいけない。体感治安とは結局、住民の防犯力だ。警察の奮起に期待しつつ、一人一人が警戒心を高めるしかない。半世紀前のように、油断は禁物だ。