メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

データコラム「Nipponチャチャチャ」

七夕

[執筆:三木 賢治(みき けんじ)]

ジャーナリスト。1949年生まれ。
73年、毎日新聞入社。

社会部で事件取材の経験が長く、社会部デスク、編集委員、「サンデー毎日」編集長などを経て、現在は論説委員

◎日本の文化や習慣をテーマに、いろいろなデータを踏まえてちょっと薀蓄も含めてお届けします。

タイトルは、「日本が面白い。頑張れニッポン」そんな願いを込めて名づけました。これからもお楽しみに。◎
 <イラスト提供:原 慶子>
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<煌めかぬ星座>

 俗に「豚もおだてりゃ木に登る」とは言うが、実際に木登りをする豚などいやしない。それどころか、豚は首がうまく回らないから、自力では天を仰ぐこともできないそうだ。いつも「ブーブー」と鳴きながら下ばかり見て餌を探し、抜けるような青空も煌めく星空も目にすることなく、屠場へと牽かれていくのが宿命とは、気の毒ではある。
 しかし、空を見上げることができないからと、豚たちが身の不幸を嘆いているわけではあるまい。生れついての奴隷には手かせ足かせを外した自由の喜びが分からず、手かせ足かせを外そうともしない、と言った社会学者がいたが、その説に従えば、空の美しさを知らない豚が空を見たがるはずはない。ペットとして飼い主に抱っこでもされ、時折は空を眺めていた豚ならば、身の不自由さを自覚するかもしれない。

 一昨年の夏、真夜中に車で秋田から岩手へと奥羽山脈の峠を越えた時のことだ。急に視界が開けたと思った途端、きらきらと輝く星の群れがフロントガラスから飛び込んで来るように感じて、あわててブレーキを踏んだ。車から外に出ると、満天の星があまりに鮮やかで身震いするほどに美しかった。星空が息づいていることにも、気がついた。あちこちの星が信号を放つかのように、絶えず光を強弱させている。流れ星も多い。突然、光の筋が浮かんでは消えていく。圧巻は何といっても燦然たる天の川だ。輝く星くずが水のように流れているようにさえ映る。これほどまでに星は明るく鮮やかに光るものなのか、と驚きもした。進んだ近視に合わせて、眼鏡店で新調した眼鏡をかけた時のような感動と言ったら、分かってもらえるだろうか。
 星空に見とれているうちに、懐かしさが込み上げてきた。すっかり忘れていたが、同じように美しい夜空を幼い頃に何度も見ていたことを思い出したからだ。七夕に願いごとを記した短冊を付けた笹を飾り、天の川を飽かず眺めたこと、「木枯らし途絶えて冴ゆる空より」と口ずさみながら星座の形を追ったこと、友だちと宵の明星を見つけているうちにとっぷり日が暮れてしまい、あわてて家路についたこと……星にまつわる思い出も、次々と蘇えってくる。東京の郊外で育ったが、半世紀近くはネオンもなく、夜は真っ暗だから、星空は十分にきれいだった。

 思えば、牽牛と織女の物語もくっきりとした星空を見慣れていたから、心を動かされたに違いない。昨今の都会の星空しか知らなければ話は違う。まるで室内灯を点した映画館のスクリーンのような夜空では、星影という映像が度の合わぬ眼鏡のようにぼやけてしまっている。七夕の天の川を眺めても、感動は伝わって来そうにない。
 最近の子供たちは本を読まないせいか、感受性や情緒的な発想に欠ける、とよくいわれるが、読書以前に自然の美しさから遠ざけてしまっていれば、豊かな情操が育まれるはずもない。七夕やかぐや姫のロマンを、素直に受け止めることができなくても無理はない。
 はて、さて。本来、見ることが出来る星空の美しさを知らぬ都会の子供たちは、豚よりもなお、気の毒なのではないか。

<データ・見えなくなる星空>
 環境省と財団法人・日本環境協会が1988年から毎年夏と冬に実施している星空
観察の結果を見ると、地上に近いほど人口光の影響を受けるため、総じて高度が高い
星ほど見えやすく、高度が低い星は見えにくい。また、規模の大きな都市ほど星が見
えにくく、小さな都市ほど暗い星が視認できる。しかし、不況の影響があるのか、定
点でスライドを撮影して夜空の明るさを比べると、最近は地上光が減少傾向にあり、
夜空が明るくなって暗い星まで見えるようになってきてはいるようだ。