メディアの隙間から

10数年にわたるPRマン時代の感性をベースに、メディアに日々接する中で感じた??を徒然なるままにつぶやく。2020年末に本当に久しぶりに再開

地震雷火事予備校

 雷は、季語は夏だが、別に夏だけのものではない。冬の雷も珍しくはない。
 駆け出し時代を過ごした日本海側の秋田県では、真冬の吹雪の夜の雷は昔からハタハタの大漁の合図と相場が決まっていた。魚へんに雷と書いてハタハタと読ませるのも、そのためだ。雷の翌日は県内各地の住宅街に、魚屋がハタハタを詰めた木箱を満載したトラックでやって来て、びっくりするほどの安値で売りさばいていく。主婦たちは三箱も四箱も買い込んで、ハタハタずしを作る。ハタハタが不漁となった70年代末まで、雷が鳴ると秋田の人々の胃袋が騒ぎ出したものだった。
 そうは言っても、やはり雷の思い出には夏のものが多い。昔は東京でも七、八月には夕立がよく降り、雷も落ちた。小学生の頃、近くに落雷があると、夕立が止むのを待ちかねて自転車で現場を探しに出た。一種の怖いもの見たさで、真っ二つに裂けた神社の大木を目の当たりにした時は背筋が凍りついた。落雷による火災で焼け落ちた民家を見た時も恐ろしかった。逆に電柱のトランスに落ちた跡は、電線が垂れ下がっていただけで焦げた様子もなく、肩透かしを食った気がした。

 忘れられないのは、ある予備校の夏期講習を受講していた際の出来事だ。受講生は見知らぬ人ばかりで、普段は口をきいたことなどないのに、その日、たまたま隣席に座った男は、うれしそうに話しかけてきた。「これで少し楽になったな」。男は朝刊を手にしていた。前日、北アルプスで全国的に有名な進学校の生徒十一人が落雷で死亡したことを伝える見出しが一面に踊っていた。
 我ながら情けなく、恥ずかしいことに、私もニュースに接した時、同じような考えが脳裡をかすめ、その瞬間、自分におぞましさを覚えて身震いしながら打ち消していた。他人の不幸を喜んでしまう浅ましさ。己のことは棚に上げ、この教室にいる連中は皆同じような発想をしているのだろうか、と思ったら、予備校という存在が空恐ろしくなった。雷よりも怖いと思った。
 振り返れば、嫌な感じの予備校だった。隣席の男が期待したような落雷事故の影響があったかどうかは不明だが、私にはまったく関係がなかった。翌年は夏期講習だけでなく通年で同じ予備校に通うはめとなった。クラスはもちろん成績順。講師より一分でも遅れると、教室のドアに鍵を掛けられ、入れてもらえなかった。一年間、教室の浪人仲間とは一度も言葉を交わさなかった。受験勉強はさほど苦にならなかったが、なんとも味気のない予備校通いだった。
 
 十数年も経って霞が関記者クラブに詰めていた時、ひょんなことがきっかけで、取材相手の官僚が予備校の同じ教室にいたと知った。その官僚は、群馬県で起きた誘拐事件の被害者の幼児が他殺体で発見されると、記者クラブ内の沈痛なムードをかき消そうとしたのか、「容疑が営利目的誘拐から営利目的誘拐殺人に変わっただけじゃないですか」と言ってのけ、冷笑を浴びた。その後の官僚としてのコースも微妙にぶれた。
 あの落雷事故の時の醜い発想と通底しているのではないか。そう思うと、背筋が寒くなった。